明日はお立ちか

「明日はお立ちか」は昭和17年(1942年)の流行歌です。明日はお立ちか、お名残惜しや、で始まる哀切たつぷりの歌です。出征兵士の妻が夫を見送る歌なのですが、よくこんな寂しい歌が戦争中に出せたものだと思ひます。夫を戦争に送り出すのがいやでいやでしかたがないといふ当時の妻の心情が伝はつてくる歌だと思ひます。

戦争中はとにかく内務省だの情報局だのがうるさくて、軍歌でない歌はいろいろけちをつけられたと言ひます。この歌も一応軍歌といふことで、レコードにすることができたのでせう。

もつとも、戦時中はなんでもかんでもうるさく軍の好みに合はないものは退けられたかといふと、さうでもなくて、「森の水車」や「煌めく星座」のやうに戦争とはまるで無縁のレコードも間隙を縫つて出てゐます。

「明日はお立ちか」を歌つた小唄勝太郎は、勝太郎といつても男ではありません。女性です。もともと神楽坂の芸者をしてゐた人で、芸者が男名前を語るのは珍しくないことで、それにはいろいろ諸説があるのですが、それはともかく、勝太郎さんはわたしの高等学校時代の憧れの女性でした。と云つても、勿論わたしは当時の高等学校生ではありません。わたしが高校生の時、勝太郎さんはすでに亡くなつてをりました。

小唄勝太郎は当時、やはり芸者から歌手になつた藤本二三吉とずゐぶん張り合つたさうです。二三吉は「祇園小唄」*1を歌つたことで有名です。この頃の京都の舞妓さんは、よくこの「祇園小唄」で踊ります。さすがに江戸時代の小唄では、リズムが古すぎて、今の観客には適さないからでせう。

江戸時代のものでは、「ゆき」といふ小唄(といふのかなんだかわかりませんが)が、わたしは好きです。しかし、この「ゆき」はものすごくスローテンポでありますので、現代の観客は退屈してしまうふことでせう。

それはともかく、「明日はお立ちか」は戦後の詞なぞもありまして、それは「心と心つないだ糸はなんで切れましよ。切れやせぬ」といふやうな歌詞に変はつてゐます。もちろん、昭和17年の元の詞には、そのやうな「時局」に適さない詞はありません。

小唄勝太郎は珈琲が好きだつたさうです。日本髪で着物を著て、嫣然と微笑んで、珈琲を飲んでゐる姿の写真を見たことがあります。昭和十年代の写真でしたらうか。わたしは高校生のときは珈琲なぞまつたく飲めませんでしたが、いつのまにか飲めるやうになりました。