古本屋
わたしが京都に住んでゐたころの話です。
ある初春の日暮れ前に、友人がわたしの家に自転車でやつてきました。そして、面白い古本屋を見つけたので、今からそこに行かうといふのです。
古本屋は好きなので、それなら行かうと立ち上がりました。わたしも自転車に乗つて、二人で丸太町通りを西から東に向かつて疾走しました。
友人の自転車は直径26インチ車輪なのですが、わたしはいくらか安い24・5インチ車輪なので、着いてゆくのが大変でした。
夕空が見えはじめたころ、わたしたちは円町に到着しました。円町には今は駅がありますが、当時はありませんでした。駅ができるとかできないとか、そんな話が出てゐたころです。円町交差点の近くには銭湯がありましたが、今もあるのでせうか。
友人はさらに丸太町を東に疾走して、少し北に入りました。
狭い通りを小川沿ひに進みます。さうして、また曲がります。
いつたいどこにあるんだと、わたしは訝りました。古本屋と言へば、大通りにはありさうなものの、狭い狭い小道にはあまりなささうなものです。人通りの少ないところでは、あまりお客がこないではありませんか。
すると、突然友人が自転車を止めて、こちらを見ます。
なんだか古ぼけた家の前です。
なんとなんと、木造の二階家です。比較的、裏通りには古い家が多く残つてゐる京都でも、百年以上建つてゐるのではないかといふやうな古い家はそんなにたくさんはありません。しかも、そんな家で古本屋を営んでゐるところはきはめて稀です。
そして、この家は古いままで何の手入れもしてゐない感じなのです。古い家屋のお店は京都にはたくさんありますが、だいたい小奇麗にしていて、経過年数をあまり感じさせないものです。ところが、この家ときたら、かはら屋根もなんだか傾いて真ん中が下がつてゐるやうな感じで、昭和三十年代なら、京都にもこんな店は多かつたらうなといふ感じの店でした。
わたしも自転車を止めて、さつそく古本を見ることにしました。
それにしても、すさまじい古本屋です。店内は屋根が低く、裸電球が二つぶらさがつてゐるきりですので、薄暗い感じです。表の通りも、なにしろ小さな通りで、明かりがもともと少ないので、店内はより暗く感じました。
また、いつの間にか、日もかなり落ちてをりました。ガラス格子を開け放しにしたままの店の、裸電球の光があまり届かない片隅に、老眼鏡をかけた店主が、こちらを一度も見ることなく、新聞に顔を埋めて化石のやうに固まつて座つてゐました。
古本屋にはよくテレビがあつたりして、店主が日がな一日それを見てゐるといふ光景がよくありますが、この古ぼけた店にはそんなものはなく、店主は静かに新聞を読んでゐました。
古本屋はわたしの友人とわたしのほかには客はなく、通りも誰一人通りませんでした。静かな夜だなあとわたしは思ひました。
さて、古本屋の棚ですが、これもまた古いものです。すべて木でできた古い本棚で、なんだか少しかしいでゐるやうです。しかも、なんだか黒ずんだ汚ない本ばかりです。
おつと、よく見ると、汚ないのではありませんでした。なんと、この本屋、箱入りの本ばかり売つてゐるのです。カバーのかかつた今時の本はちつともありません。箱入りの本がたくさんあったのは、せいぜい昭和五十年代くらゐまでではないでせうか。徹底して古い本ばかりなので、なんだか汚ないやうに見えただけでした。
ためしに手にとつて、箱から出してみた本は、発行が昭和三年です。また、手にとつて箱から出した本は、大正十一年発行。箱がない小さな分厚い本があるなと見てみると、明治三十八年発行。
なんだ、この店はとすつかり驚いてしまひました。これでは、商売にならないのではないかと、心配しました。ブックオフなら買取してくれないやうな本ばかりです。お客も、さすがにここまで古い本にはなかなか興味を示さないでせう。
友人もさすがにいろいろと本を見てはゐましたが、買いたいものはないやうでした。わたしは古い本は大好きなのですが、あまり興味の向く本はありませんでした。
外を見ると、日はとつぷりと暮れてゐます。黄色い裸電球の光に慣れたせゐか、外は真つ暗で何も見えませんでした。
春の夜風が、そよそよと頬をなでてゆきます。ああ、夜なんだ、と思ひました。
わたしと友人は顔を見合はせると、黙つて店の外に出ました。
店主は相変はらず固まつたまま、新聞を読んでゐます。
「なんだか、変な古本屋だつたね」
わたしは友人と中華食堂に入つてゐました。わたしがさう言ふと、友人も炒飯を周囲にこぼしながら、
「古い本ばかりだつたな」
と言ひました。さうして、古本屋のことはお互ひすぐに忘れてしまひまして、その後は馬鹿げた話に興じてをりました。
しかし、変な古本屋は本当に変だつたのです。
後日、わたしはたまたま円町にをりまして、ふと思ひ立つて例の古本屋にいつてみようと思ひました。
ところが、その古本屋は見つからないのです。通りさへ見つけることができませんでした。
川を上がつて、曲がつて、こつち、といふ簡単な道順だつたのですが、さつぱり分かりません。結局、あきらめて帰りました。
そして、わたしはこの古本屋にその後も何度か訪ねようとしてみたのですが、どうしてもたどりつけません。そもそも、あの通りが見つかりません。あれはなんだつたのだらうと、きつねにつままれたやうな気持ちになりました。
でも、もつと変なのは、その古本屋のことを友人に尋ねてみると、彼は「そんな古本屋は君と行つたことがない」といふのです。今でもつままれたやうな気持ちでをります。