鼻眼鏡
わたしはたいへんひどい近視なので、物がはつきり見えるといふことがありません。
めがねをかけてもさうなのです。何うしたつて、はつきりは見えませんが、不自由しないので恬としてゐます。よいのは、きたないものをはつきりみなくてすむこと。わるいことは、きれいなものもはつきりみえないことです。
でも、犬も目が悪いさうですから、よいのです。
もつとも、犬みたいに鼻はきかないので、めがねを外でなくしたら、どうなるのだらうと不安です
(と言ひながら、深くは考へないわたしはたいして不安でもありません。さうなつたら、鼻がとたんによくなり、餌のありかなど瞬時に当てるだらうと思つてゐます)。
困ったことに、わたしは厠の男女の区別を何度か間違へたことがあります。
眼光紙背に徹するといふ言葉がありますが、わたしはいつもぼんやりと見える活字をいい加減に拾つて読んでゐます。
でも、時々困ります。「YAWARA」ちやんといふ活字が「TAWARA」ちゃんに見えたりします。TAWARA? ああ、小泉首相が言つてゐた「米百俵」かあ、などと暢気なものです。
わたしは目と同じやうに頭もかすんでゐるので、さういふとき、柔道選手と米百俵がなんの関係があるか深く考へません。
さういへば、わたしの自慢の一品があります。言ひたかつたのは、このことでした。
それは、鼻眼鏡です。実に格好良いのです。そのめがねをかけたわたしでなく、めがねが。