フラ印ポテトチップス

kimikoishi2007-04-08

君知るや フラ印ポテトを
知らずや君 フラ印ポテトを


わたしは輸入食材店が大好きです。

なぜ好きかと言ふと、見たこともない食品がたくさんあるからです。

外国のものは、味も日本のものと少し違います。それが、とても新鮮で、すさみきつた生活に潤ひが生じます。

それに、わたしは日本の食品工業製品には、生意気にも飽きてしまひました。といつても、「じゃがりこ」や「おにぎりせんべい」や、亀田製菓のせんべいや日本のポテトチップスなど、魅力的なものがまだまだたくさんあるのですが、初めて味はふ変なものには到底かなひません。

たとへばクスクスなど、逆立ちしても、日本の製品では手に入れられない不思議な食感があります。しかも、簡単に調理できるのです。乾燥したクスクスに等量のお湯をかけて、五分間待つだけで出来上がりです。

クスクスなら、米飯のやうに一時間近くも炊きあがるのを待つ必要もありませんし、パスタのやうに八分間程煮て、さらに水切りする必要もありませんし、うどんのやうに食後しばらくしておなかが減つてしまふこともありません。ダイエットに最適・・・と書くと、あるある大事典のやうに、やぶへびをつついてしまふことになるのでやめておきますが、とにかく便利な一品です。

日本でも、もつと簡単にクスクスが手に入ればよいのにと思ひます。クスクス友の会会長になつてもよいです。

大幅に脱線しましたが、当初の予定は「フラ印ポテトチップス」について書かうと思つたのでした。

わたしはある日、小村には珍しい輸入食材店に入りました。輸入食材店を見かけたら必ず入店するのが、我が家の家訓です(わたし一人の家訓)。

わたしはお菓子売り場に立ち寄つて、コートドールやトーブルローヌなど、外国チョコレートを垂涎の思ひで眺めてをりました。外国のお菓子は少々高いので、しかもお菓子を気軽に食べる癖をつけると、身体によくないので、購入は諦めてをりました。眺めるだけで食べた気にならうといふ貧しい魂胆でゐたのです。

古典落語にある、うなぎの蒲焼のにほひをかぎながら、白飯をたべる話ではありませんが。

ふと、視線をチョコレートからそらすと、変な絵のついたポテトチップスが目に入りました。

フラ印 ポテトチップス

とても怪しい代物です。しかも、百数十円と安いではありませんか。しかも、よくよく手にとつて見てみると、日本製ではありませんか。こんなポテトチップスははじめてみました。

コンソメ味とうす塩味がありましたが、ついつい手が伸びて買つてしまひました。

ポテトチップスは脂つこいので(しかも、日の経つた油は確実に酸化します)、きつと身体にはよくないのでせうが、まあたまにはよいでせう。

たべてみると、ごくごく普通の味でしたが、わりとおいしいポテトチップスでした。

ちなみに、なんでハワイのフラダンス? なんでハワイとポテトチップス?(ハワイと相撲のはうが、ハワイとポテトチップスよりはるかに変な組み合はせかもしれませんが、そちらは気にしませんでした)と気になつて仕方がなくなりましたので、調べてみたらかういふわけでした。
http://www.sakebunka.co.jp/archive/others/002_2.htm
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Rally/3105/foods/hula.html

なんと、昭和22年から売つてゐる歴史のあるポテトチップスだつたのですね。国産のポテトチップスなど昭和40年代以降の代物だと思つてゐましたが、ずゐぶん前からあつたのですね。

関係のない話ですが、昭和50年代の末頃に、ポテトチップスの袋が現在普通に見られるやうな銀紙の光を通さないものになりました。それまでは、普通のビニール包装で、袋に印刷の色はついてゐたものの、ご丁寧に中身が見えるやうに一部を透かせてあつたりもしました。

そんなポテトチップスが駄菓子屋の店頭で、陽炎をたてて、夏の夕陽を浴びてゐる姿をよく見かけたものですが、今思ふとよく中身が酸化して痛むこともなかつたものだと感心します。寒心もします。

さういへば、キャラメルも、例のきつね目の男のグリコ・森永事件以降、外箱に、ぴつたりとしたビニールがかぶせられるやうになりましたが、事件以前は違ひました。キャラメルの箱が、ぴつちりしたビニールをかぶせられる前に、どんな感じで売られてゐたのかは、もうすつかり忘れてしまつて思ひ出せません。

これもまた関係ありませんが、公衆電話が緑色になる前は、黄色でした。こんなことはよく覚えてゐます。その前は赤色と青色がありました。青色が長距離用だつたやうに思ふのですが、交換手がゐた頃の電話は知りません。

人だけでなく、物にはいろいろと歴史があります。数十年を経由して人間が使ひ続けたものには、なんとも言へない味はひがあるものです。古い建物や汽車などを見ると、そこに集まつたさまざまな人間の思ひが伝はつてくるやうな気がします。

ですから、みなさんもたとへば携帯電話は同じものを何十年も使つてみてください。あなた自身とともに、なんとも言へない味はひが出てくると思ひます。不便きはまりないかもしれませんが・・・