kimikoishi2006-07-22

Gigliola Cinquetti(ジリオラ・チンクエッティ)の La pioggia (雨)といふイタリアの流行歌があります。1960年代末の歌です。雨ばかりつづいてゐるこの頃にはぴつたりの曲です。それにしても、涼しくて助かります。

この歌を耳にして思ひだしたことがありました。思ひ出した内容と、この曲とは大分イメージがちがふのですが、まあよいでせう。どちらかといふと、往年の名曲リュシエンヌ・ボワイユのParlez-moi d'amour(聞かせてよ愛の言葉を)や、ティノ・ロッシのIl pleut sur la route(小雨降る路)のはうが合ふのですが・・・

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わたしは、雨のそぼふる甃路の上にゐました。

さあさあと、静かな音を立てて雨がふります・・・

それは、霧雨のやうでした。やさしい雨でした。

わたしは傘を持つて立つてゐましたが、傘を傾けて、天を仰ぎました。

霧雨が顔にかかります。冷たくて、きもちがよいです・・・

甃路の両側には、赤煉瓦の建物がありました。それほど高い建物ではありません。

建物の上から、さあさあと霧雨が散つてきます。

空はどんよりとした雨雲で覆はれてゐます。まだ午後の早い時間でせうか・・・

ふと、気づくと、すぐ目の前に、女の子が立つてゐました。

わたしは天を仰ぐのをよして、まつすぐ前を見ました。

やはり、女の子も傘を差してゐます。

赤い服を着た、髪の長い女の子でした。

わたしは傘をもとにもどして、それから女の子をみつめました。

女の子は、少しさみしさうな目をしてゐます。

どうしたの?

と、わたしはききます。

女の子は黙つてゐます。

わたしも黙つてゐました。

雨がさあさあと音を立ててゐます・・・

あたりは、とてもしづかです。

まるで、この世界には、わたしと女の子の二人しかゐないやうです。

そのくらゐ、しづかなのです。

霧雨の立てるもやで、あたりは、ぼんやりとけむつてゐました・・・

ゆかなくてはならないの。

女の子が、ふと言ふのです。

わたしは、びつくりしました。

女の子は、遠くに行かなければならないんだ。

わたしはずゐぶんおくれて、うなづきました。

気の利いたことも言はずに。

いや、言はなくてよいのです。

細かいことはよいのです。たとへば、どこへゆくのかなどは・・・

わたしと女の子は、そのままみつめあつてゐました。

女の子は言つてしまふと、さばさばしたやうな気持ちになつたらしく、

かすかに、ほほゑんでゐました。

わたしは、どんな顔をしてゐたのでせう。

きつと、おなじやうに、ほほゑんでゐたのでせう。

霧雨がさわさわと、あたりをつつみます。

わたしと女の子の間をぐるりと・・・

さやうなら。

女の子が思ひきつたやうに言ひました。

さやうなら。

わたしも言ひました。さみしい気持ちはもうなくなつてゐました。

さうです。どこかでまた会へるやうな気がしてゐました。

女の子もさう思つてゐたに違ひありません。

女の子はくるりと背を向けると、向かうへ駈けだしました。

わたしはそのまま傘を持つて立ち尽くしてゐました。

雨がさわさわと音を立てます。

もやのなかに女の子の赤い服と傘だけが見えます。

霧雨がいつそう濃くなつたやうな気がしました・・・

赤い色が小さく見えます。

でも、それも、だんだん小さくなつてゆきました・・・

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といふ夢を子供のころに見ました。

でも、夢だつたのか現実だつたのか、はつきりしません。ほんたうにあつた出来事のやうな気もするのです。

ここでは一応、夢としておきますと、この夢を見た時、わたしは熱を出して寝てゐました。

わたしは子供の頃は病弱で、よく熱を出して学校を休みましたが、時々同級生の少女が学校の用事を言ひつかつて、わたしをたづねてくれました。

でも、その子はこの夢のあとには来ませんでした。

なんと、わたしが学校を休んでゐる間に、どこかへ引越してしまつたらしいのです。

しかし、これは少々変なのです。

わたしはこの女の子の顔も名前もまつたく覚えてゐません。そして、この女の子は同級生だつたはずですが、同じ教室のなかにゐた記憶がまつたくないのです。

また、休んでゐる子の家にゆけと、学校がなにかの用事を言ひつけることはなかつたはずです。わたしが在校してゐる時にそんなことはほとんどありませんでした。

生徒が休んだ友人の家に勝手にゆくことはありましたが、とくに異性の子に先生が命じて訪れるといふことは、ほとんどないことだつたと思ひます。

また、引越したといふ話は、実はさうでないかと思つてゐただけなのです。ほんたうに女の子はこの世にゐたのでせうか?
案外、夢の中の人物だつたのかもしれません。実際、熱を出したときに、この子はいつも現はれるので、わたしが元気な時に会つたことがないのです。

子供の記憶なんていいかげんなもので、今となつてはなにがなんだかわからなくなつてゐますが、これはなんとも甘い思ひ出として残つてゐます。