臺灣鐵路局

kimikoishi2007-03-24

台灣の松山にある慈祐宮といふところにゆきました。

松山にゆくには台北から汽車に乘ります。臺灣鐵路局の台北驛から松山驛まではわづか一驛です。

慈祐宮のことは改めて記すとしまして、歸路、松山驛から乘つた汽車はなかなか痛快なものでした。

汽車は「自強號」、「莒光號」jŭ guāng hào、「復興號」fù xìng hào、「區間快」、「區間車」の四種類があります(さらに、「普快車」といふのもあるさうです)。日本の汽車との對應はよくわかりませんが、順に特急、急行、準急、快速、普通と考へればよいでせうか。

わたしは松山から復興號に乘りました。運賃はわづか18元です。日本圓で70圓しません。台灣の物價は日本より少々安いくらゐなのですが、食費と交通費は箆棒に安いのです。日本はなんでも高い國ですが、世界的に見ても日本の交通費は高いと思ひます。

それはさうと、復興號は自動扉でなく、手動扉でした。

手動なので、走行中も戸は開いたままです。列車は戸をあけたまま、地下線にも入ります。地下鐵の中を、轟音を反響させながら走る列車はとても面白いものでした。

日本でも、20年ほど前までは、さういふ手動扉の汽車があちこちで走つてゐました。そんな汽車に乘り合はせて、突然汽車が搖れて扉から落ちさうになつたこともあります。

そのもつと前には、東京近邊にもそんな汽車がたくさん走つてゐて、上野發着の汽車、兩國から千葉方面にゆく汽車が手動扉だつたと聞きます。落ちて亡くなる人もたまにあつたらしく、危險きはまりない。國鐵はなにをやつてゐるんだ、といふ當時の新聞の批判記事を見たことがあります(當時の新聞は執拗に國鐵の批判をしてゐました。運轉中に漫畫雜誌を讀んでゐる運轉手の寫眞が掲載されたこともあります)。

台灣で、手動扉の汽車がどれだけ殘つてゐるのかは、はつきりとは分かりませんが、復興號と區間快(の一部)がさうです(「自強號」、「莒光號」の一部にもあるさうです)。その他にもあるかもしれません。しかしながら、臺灣鐵路局の計畫では、復興號はそのうち廃止となり、莒光號に吸収されるさうです。また、莒光號自体もなくなるやうなことを聞きました。なんだか、つまらない話です。

最近、台北付近の地下線で、自強號の手動扉から乘客が轉落死したと聞きます。この3月には、台灣高鐵(いはゆる台灣新幹線)も全線開業しましたし、台灣の鐵道は急速に變化しつつあります。開いたままの扉から、風を浴びるやうな暢氣な汽車旅も、そろそろおしまひなのかもしれません。