みづうみ
主は仰せを地に遣わされる
御言葉は速やかに走る
羊の毛のような雪を降らせ
灰のような霜をまき散らし
氷塊をパン屑のように投げられる
誰がその冷たさに耐ええよう
「詩篇」(147)
わたしは山の中にいました。国定忠治や東海林太郎の「赤城の子守唄」で有名な赤城山です。
そこは、標高1400mの山の中で、あたりには人っ子一人見当たらず、もちろん人家も見当たらず、そして日も暮れつつありました。
人はいませんでしたが、そこには、なぜかわたしよりはるかに巨大な雪だるまがそびえたっておりました。わたしは雪だるまの下に自動車を止めて、途方にくれておりました。
その日、下界は曇り空であったとは言え、雪などまったくなかったのですが、ここはまったくの別世界。一面の雪景色なのでした。
わたしは下り坂を目の前にして途方にくれておりました。
坂をずるずると降りるのには多少の勇気が必要でした。
なにしろ、車輪を雪にとられたら、一巻の終わりであります。
しかも、無理に坂を下る必要はないのです。引き返せば済むことです。でも、坂を進むとみづうみがあるのです。
わたしはみづうみを見たかったのでした。
狂王ルードヴィッヒではありませんが、みづうみに憧れます。ニーチェのように、湖畔で「永劫回帰」に出遭うことができるかもしれません。
まあ、なにもなくてもよいのです。とにかく、たくさんの水を見るのが楽しそうだったので、惹かれたのです。
・・・わたしは迷っておりました。なにしろ、車輪に巻く鎖ももっていません。雪山の装備は何も用意していないのです。
おや?
ふと、傍らを見ると、けもののようなものがうずくまっています。
よくみると、たぬきのようです。
おやおや。たぬきか。
わたしは窓を開けました。
さうして、動かぬたぬきに呼びかけてみました。
すると、丸くなっていたたぬきは、ものうげに顔をあげました。
顔をあげてみると、なんと、いぬでした。
眠そうな顔でこちらをみています。
なぜそんなところに、いぬがいるのかわかりませんが、面白いと思って、写真を撮りました。
写真を撮ると、いぬはまた顔をうずめてしまいました。
わたしはいぬにはげまされて、坂を進むことにしました。いぬはちっとも励ましてはいないと思うのですが、それはまあよいのです。
ずりずりと自動車は進みます。
ゆっくりゆっくりと。
ずりずりと自動車は進みます。
すべるようにして、自動車は進みます。
わたしは大いに緊張しながら、坂を下ってゆきました。
やがて、道が少し広くなってきて、駐車場のような広場が見えました。
わたしはほっとしました。
広場に自動車を進めて、そっと止めました。
あたりはまっしろです。
みづうみはどこかな?
しかし、肝心のみづうみはすっかり凍っておりました。
あたり一面の雪景色の中に、みづうみはうづもれておりました。
おお、なんだこれは。
(つづく)