眼鏡

kimikoishi2007-02-06

わたしが眼鏡が好きです。わたしがかけてゐるのは、今はやりの太い縁のおしやれな眼鏡(大橋巨泉の眼鏡のやうなのではなく)ではありません。

縁なし眼鏡を愛用してをります。ほんたうは、鼻眼鏡にしたいのですが、これはなかなか運動には不向きで、サッカーや野球をたしなむわたしとしては、大変不都合なのです(ほんたうはたしなんでをりません)。

鼻眼鏡と検索すると、宴会でかける鼻とちよびひげのついた眼鏡が出てきますが、わたしの言ふ鼻眼鏡は、つるのない、ばねによつて鼻にひつかけるタイプのもので、西洋では19世紀に流行したものです。

日本人は鼻が低いので、鼻眼鏡は不向きですが、吉田茂佐藤春夫稲垣足穂吉行エイスケあぐりの旦那さんで新興芸術派の作家)、馬場孤蝶(大正時代の文芸評論家)などがかけてゐます。

縁なし眼鏡は、縁が目立たないおしやれな眼鏡として、19世紀にはすでにあり、日本でも明治時代にはあつたやうです。しかし、ガラスに穴をあけて、金具で止めるのですから、割れやすく、戦争中にはいつたん消えてゐます。なにしろ、非実用的なものですから、その頃にはセルロイドの眼鏡がはやりました。

セルロイドの眼鏡は昭和五十年代まではやりがつづきました。つい最近も、また増えてゐるやうで、女性がよく細いセルロイドの眼鏡をかけてゐます(昔は女性の眼鏡は「オールドミス」の象徴のやうに言はれて、若い女性には忌み嫌はれたものですが)。

縁なし眼鏡は平成になつてにはかに流行しましたが(それまでは、曲がりやすい、割れやすいなどの不便なものとして、大々的に流行したことはありませんでした)、あまり長くは続かなかつたやうです。やはり壊れやすいからでせう。

でも、わたしは長らく愛用してゐます。わたしは中学生の時には縁なし眼鏡をこさへてかけてをりました。当時は誰もゐなかつたので、得々としてをりました。なぜ縁なしにしやうかと思つたのかといふと、泉鏡花昭和天皇がかけてゐる縁なし眼鏡が格好いいと思つたからなのです。

しかし、眼鏡がなくて済むならこれほどよいことはありません。眼鏡はすきなのですが、これがないと何も見えなくなつてしまつて非常に困ります。縁なし眼鏡は透明で、どこかに転がつてゐると、さつぱり分からなくなるものですから、なんと、ふちなし眼鏡を探すための眼鏡(昔かけてゐて度が合はなくなつたもの)も部屋の中に転がつてゐたりします。

また、近眼鏡なので、目が大変小さくなるのもよくないことです。といつても、わたしは小さくなつてゐるとは全然気付かなかつたのですが(なにしろ、鏡を見るときはいつも眼鏡をかけてゐて、眼鏡のない顔は見たことがないのです)、人に指摘されてびつくりしました。

どうも、わたしは自分の見たこともない顔をしてゐるらしい。

鏡はそもそも正反対に映るものです。わたしはしかも眼鏡なしに鏡を見ても、ぼんやりとしか見えません。

それならば、写真で見ればいいかと思ひもしますが、写真は人の顔を正確に捉へるものではありません。ベルクソンのひそみに倣へば、人の顔といふものは、ある動きの連鎖の総合であり、瞬間ではありません。

実際、人の魅力的な表情を写真におさへるのは至難の業です。人の顔を見てゐるのが、たつた五秒であるとしても、五秒の間にはある動きがあります。しかし、写真にしてしまふと、その動きを全体的に捉へることはできないのです。

嗚呼。人は自分の顔がどんなものであるかを知ることは、永久にないのです。

おいおい、ビデオがあるではないかと言はれさうですが、わたしはビデオの撮影機械を所有してゐません。また、ベルクソンの『創造的進化』における映画論に倣へば、それも動きを捉へたものではないといふことになります。ドゥルーズが『シネマ』の前半で、このベルクソンの映画論を批判的に解釈してゐますが。

わたしのいぬは、自分は人間だと思つてゐます。わたしはいつもそれを笑ふのですが、案外、わたし自身が実はいぬだつたりするのかもしれません。