沈淪

内容と絵は一致しないのですが

わたしは大学生の時、下宿生活を送つてをりました。

今も「下宿」と言ふのでせうか。兎に角、当時は、一人暮らしをしてゐる学生は、下宿生といふことになつてゐました。

戦前の下宿といふのは、ほんたうに「宿」で、「まかなひ」つきが普通でした。つまり、下宿屋のをばさんが毎日三食ないし二食を用意してくれるのです。もつとも、ご馳走ではないと思ひますが。

昭和のいつごろに、さういつたまかなひつき下宿はなくなつたのでせうか。

少なくとも、わたしの頃は、まかなひつきといふのは皆無でした。風の便りに、一軒だけ残つてゐると聞きはしましたが。

そして、わたしの頃は下宿に風呂がついてゐないのが普通でした。風呂付きのマンションは、ぜいたくなものとされてゐました。もつとも、女子学生の多くはマンションに暮らしてゐました。女子学生が夜に銭湯にゆくのは、場所によつては安全ではありませんから。

銭湯は夜十一時までやつてゐましたが、学生生活をしてゐると、これは結構早い時間で、面倒でした。十時半には家にゐなくてはならないからです。わたしは、たとへ高熱があつても風呂に入るといふカピパラも真つ青の無類の風呂好きですから、銭湯の時間制約はなかなか厳しいものがありました。しかも、十一時直前は以上に混むのです。

銭湯は多くの人間が一斉に水道をひねると、お湯が少ししか出ないのです。お湯の供給量が一定だつたのでせう。それに、お湯の中はむさくるしい男共の芋洗ひ状態です。それがいやで、結局いつも八時から九時半の間に行つてゐました。

この時間には、さらしを巻いた倶梨伽羅紋紋の兄イがたくさん来てゐまして、鯉の滝登りや女郎蜘蛛、観音像を拝むことができました。

銭湯はあまりに不便で、わたしはのちにはマンションに引つ越しました。時代が変はりゆくと共に、銭湯に通ふ人がどんどん減つてしまつて、銭湯の料金がぐんぐんと上がつてしまひまして、風呂なしの下宿に住んでも、マンションに住むのと同じくらゐのお金がかかるやうになつてしまつたのです。

ただし、わたしの友人は月に二度しか風呂に入らない男で(真夏でも!)、かれのやうな風呂嫌ひには関係のない話です。

わたしが住んだ、風呂なしの下宿は、木造で、大層壁の薄い建物でした。

隣の音はほとんど筒抜けです。なにをしてゐるか、手にとるやうにわかりました。ふとんをしまつたり、お湯を沸かしたり、食事をしたり、なにもかもが筒抜けです。

隣に住んでゐた男は、あまり友人もゐないらしく、誰かが訪ねてくることは滅多にありませんでした。それは、こちらとしては実に有難いことでした。それは、隣人の声が実によく聞こえる部屋なので、誰かが訪ねてきたら、かれらが話すのをやめるまで、うるさくて寝られやしないからです。

隣人はたいそう物静かな男で、ほとんど家にをりました。学校に行つても、すぐに帰つてきます。実に孤独な男でした。

しかし、いつも隣人がゐるといふのは、勝手なことですが、わたしとしてはあまり面白くない話でした。なにしろ、隣人の存在感がぢかに伝はつてくるやうな壁の薄い部屋でしたので、いつもその男と暮らしてゐるやうな息の詰まる感じがなんとも言へず、いやなものでした。

たまには、友人の家にでも行つて、外宿してくれないかと思ふのですが、寂しい男で、いつもいつも家にゐるのでした。

ある夜のこと、友人がわたしを訪ねてきました。その日は珍しく隣の男は外出してゐました。訪ねてきた友人は、先に挙げました風呂に入らない男です。

友人はわたしの部屋に上がりこむと、かばんに無造作に突つ込んでゐたフランスパンをとりだすと、がりがりとかぢりはじめました。ばらばらとパンのこなをそこらぢゆうにばらまきながら、彼は熱心に話しはじめます。

まつたく、何度注意しても、パンの粉を散らかす男だなあと悲しみながら、わたしは彼の話を聞いてゐました。

わたしはフランスパンに対抗して、胡桃を金具でこじあけては、実をつまんでたべてゐました。わたしは胡桃が大好物でした。

話が盛り上がつた頃、突然、部屋の外で、人の声がしました。

なにしろ壁の薄い部屋で、外の音もよく聞こえます。薄いだけではなく、壁と柱の間には隙間が空いてゐて、外の景色が見えるのです。実を言ふと、隣の部屋も少し見えるのです。なんともひどい部屋でした。

おや、どうも隣の奴らしい。

すると、どうやら女性の声もします。

おや、女性を連れてきたらしい。二人は話を止めました。

戸を閉める大きな音を立てて、隣人が帰つてきました。この部屋は壁が薄いだけでなく、戸も実に大きな音を立ててしまるのです。

どたどたと二人の足音が響きます。

女性の友人?

わたしと風呂に入らない友人は目を見合はせました。

女だな。

友人は憎憎しげに言ひはなちました。

暗い電灯の下で陰になつた、無精ひげだらけのくらい顔で、友人はじつに憎憎しげに言ふのです。

珍しいね。はじめてだよ。

わたしは言ひました。きやあきやあと女の高い声が、貧乏アパートに響き渡ります。

許せんな。

友人が暗い目をしてぼそりと言ひました。

わたしはだまつてゐました。友人がゆるせんと言ふと、わたしもなんだか、だんだん気に入らなくなつてきました。

邪魔するか。

友人が目を光らせてさう言ひました。

どうやつて?

わたしが言ふと、友人は暗い笑みを浮かべて、

音楽でも鳴らしてやるか・・・さうだな、五月蝿い音楽がいい。

と言ふのです。

いや、それなら、

わたしも暗い笑みを浮かべて言ひました。

これがいゝよ。

わたしは友人にカセットテープを示しました。

それを見た友人は、イヒヒと地獄に響き渡るやうな暗い笑ひ声をもらしました。

やらうぜ。

友人はカセットデッキを押入れに据ゑ付けました。

押入れの板一枚隔てて、すぐに隣の部屋です。壁の隙間からは隣の部屋の明かりがさしてゐます。

男女の明るい笑い声がします。わたしはなんだかとても腹が立つてきました。こちらは、二週間分の垢を溜めてゐる男と二人きりで夜を過ごすのです。おもしろくないではありませんか。

わたしはテープをセットしました。そして、スイッチを入れます。

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時・・・・

般若心経が大音響で流れます。

驚いたのか、男女の声がぴたりとやみました。

わたしと友人もだまつてゐます。

暗い電灯のオレンジがかかつた黄色い光の下で、朗々とお経が響き渡ります。

照見五蘊皆空度一切苦厄・・・

わたしはいまでも、悪いことをしたと思つてをります。若気の至りです。

その後、隣の男が女性を部屋に連れてくることはありませんでした。

中国の郁達夫といふ作家に「沈淪」といふ作品があります。わたしはこの作品を読むと、いつもこの時のことを思ひ出します。どんな作品なのかは、ぜひ読んでみていただきたいと思ひますので、黙つておきます。中国語で読むと、なほ秀逸なのですが、翻訳もあります*1

佐藤春夫の『都会の憂鬱』(郁は日本に留学して佐藤春夫に師事していました)にも、同様の味わい深い男の孤独を描いたところがあります。この作品は春夫の代表作『田園の憂鬱』の姉妹品ですが、こちらもお勧めします。