手塚治虫と澤瀉久敬

kimikoishi2006-11-05

「医学というものが単に病気の治療だけを目的とするのではなく、人類の健康を高めるものであり、その健康とは単に身体的健康だけではなく、精神的健康をも意味するものであるなら、医学の進歩はそのまま人類そのものの発達をもたらすものである。とともに、人類自身の道徳の高揚なくしては医学の正しい前進もありえないのである」

澤瀉久敬『医学の哲学』(1964年)の一節です。澤瀉はフランス哲学の研究者で、ベルクソンやメーヌ・ド・ビランの専門家として有名ですが*1大阪大学医学部で日本で初めての講座「医学概論」を1941年から担当していたことでも知られています。

澤瀉は大阪大学哲学科の第一講座をも担当していまして、それはフランス哲学の講座でした。これはきわめて珍しいことで、なぜ珍しいかというと、日本の国立大学の哲学科はドイツ哲学に偏っていて、フランス哲学を掲げることはほとんどなかったからです。澤瀉はあえて、亜流とされていたフランス哲学を第一講座にもってきたのです。

このドイツ偏重は、今でもまだ残っていて、私立大学も例外ではありません。大学でフランス哲学を勉強したいなと、気軽に哲学科に入ってみたら、フランス哲学の専門家は一人もいなかったというのは、今もよくある話です。

それはともかく、澤瀉は医学概論で、現在の医学は生命を扱う学問として有効なのか? 医学はあまりにも生命の質を無視してはいないだろうかという問いをたてました。それは、1941年のことでしたが、それまでそういった問いが大学で問われたことはなかったということなのです。医学はあくまで技術に徹していたわけです。

しかし、医学は技術だけでよいのだろうか?

精神医学、心理学はそもそも心を扱うものですから、フロイトの批判以降は(ベルクソンも当時の心理学の分析科学偏重を批判しています)、投薬や手術に頼る技術的な方法だけでは人の心理は解明できないし、心の治療もできないということになりました。

医学は技術偏重でよいのだろうかという問いが、心理学の領野においては早くに投げかけられたわけなのです。もっとも、最近の精神医学は5分診療で、抗欝剤の大量投薬ばかりが中心になってしまって、また19世紀の心理学に退行しつつありますが。

しかし、心理学の領野で反省があったにせよ、医学そのものの技術偏重が問われることはありませんでした。澤瀉の批判が真剣に受け止められ始めたのはごく最近のことになるのではないでしょうか。

今なお、医療は技術偏重のままです。医者が患者を見ずに、機械の数値だけで処置を決める技術医療への偏重はますます強くなっています。

薬にしても、副作用を示さずに患者に渡します。Aという病気を治す薬の副作用が、Aという病気をひきおこすものだったという笑えない話もあります。ここでは具体的には書きませんが。

澤瀉の60年前の問いは、結局いまだ解決されることなく、そのままになっています。生命そのものを考えるという、ベルクソン哲学から想を得た澤瀉の医学批判は、たしかに内容自体には目新しいものはないかもしれませんが、問題提起としてはいまなお新鮮なものがあります。

この澤瀉の生命と医学の問題提起を思い出したのは、今日のテレビで手塚治虫の特集を見たからでした。

手塚は漫画家であると同時に、医者でもありました。手塚は1945年に大阪大学付属医学専門部に入学して、1951年に卒業しています。大阪大医専というのは、戦時中に軍医を大量に養成するためにつくられたもので、戦後に廃止されました。

手塚が澤瀉の「医学概論」を聞いたことがあるかどうかは分かりませんが、直接の影響関係はないにしても、手塚が漫画で一貫して生命を問い続けたことを思うと、澤瀉と問題意識は共有していたと見てよいでしょう。

手塚は手術後、最期の講演を大阪教育大付属小学校でしています。その内容は、やはり生命の意義を説いたものであったそうです。

テレビの手塚治虫特集で触れていたのですが、十数年後、その小学校にある男が闖入して、子供を次々に手にかけるという事件がありました。そこには、その男が単に頭のおかしい男だったからというだけではすまない問題があるように思います。

*1:『アンリ・ベルクソン』中公文庫、『世界の名著ベルクソン』の解説は入門書としては白眉のものです。澤瀉氏の人柄も伺える良書です。どちらも古い本ですが、最近出た岩波新書の『ベルクソン』より、すぐれた入門書ではないかと思います。