農村歌舞伎

kimikoishi2006-11-04

昨日、川崎市の日本民家園にゆきまして、農村歌舞伎を見て参りました。

といふのも、文化の日で、民家園は無料になつたからです。わたしは無料といふのに弱く、ついつい足を運んでしまひます。無料だと、たとへ変なものでも喜ぶことができます(民家園と農村歌舞伎は無料でなくても、見る価値が十分にあります)。

たとへば、1500円出して見た映画が散々なものでしたら、ああ、あれがたべられた。じゃがりこが10個買えたと、地を叩いて後悔することになります。

無料、もしくは安いものなら、どんな変なものでも、ああ楽しめたとなります。根が貧しいのでせう。

昔はのんびりしてゐまて、人もおほらかでしたから、娯楽に対する一寸した散財なら、みな腹もたてなかつたやうです。散財といふと失礼ですが、東京ディズニーランドばかりが儲かつて、郊外の遊園地が軒並み消えてゐるのは、どうせお金がかかるなら、派手なもので行きたいといふ現代人の心性によるところが大きいのでせう。

ムツゴロウ王国の動物遊園地の経営危機も、昔だつたらなかつたことかもしれません。

昔はそれだけ刺戟がすくない時代だつたのでせう。たとへば、昔の遊園地のお化け屋敷なんか、今の人はとてもお金を払ふ気になれないのではないでせうか(わたしもいやです)。でも、20年前であれば盛況だつたのです。日本人はいつの間にこんなに飽きつぽい、気の短い民族になつてしまつたのでせうか。

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見世物小屋の看板に「五尺の大いたち」とあります。サアサア、珍しい五尺の大いたちだよ。一寸此処でしか見ることはできない代物だよ。サアいらはいいらはい。と呼び声もかかります。

5尺といへば、150cm少々です。女性ならそのくらゐの背の人はざらにゐます。なんとも、ばかでかいイタチです。見てみたいではありませんか。

小金をいくらか取られて、幕を割つて薄暗い中に這入ります。それにつられて、我も我もと人が這入つてきます。

どんないたちなのか、胸がどきどきします。皆口々に、大いたちの威勢がどんなものであるか、想像を語ります。

さて、暗いなかを奥に進みます。

すると、なにかを明かりが照らしてゐます。

歓声が上がつてゐます。笑ひ声も聞こえます。

なんだ? 

高まる期待。そこで、見たものは??

それを見た後でも、みなアハヽと笑つて、金返せといふ人はゐなかつたといふのですから、いい時代だつたのでせう。今でもさういふいい人が沢山ゐることは間違ひありませんが、さすがにこれには怒るのではないでせうか。ちなみに、この話は昭和二十年代の話です。

怒るといへば、昔はもつと人が怒つてゐたと思ひます。大人気ないといふことになつて、怒る場所を失つたからこそ、感情を爆発させる人も増えてきたのではないでせうか。人間であることと、世間で評価されることとは、実は一致しないことも沢山あるのだと思ひます。

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農村歌舞伎はもともと農民が集まつて素人芝居をしたもので、江戸時代から伝はつたものださうです。軍隊にもかうした素人芝居がよくあつたやうです。軍旗祭なんかを聯隊でやりまして、一般市民にも公開したやうです。

昔の人は芝居が好きだつたのですね。いまは共同体ぐるみの近所づきあひが減つてゐますから、あまり残つてゐないのでせう。自衛隊なんかはどうなのでせうか。

この農村歌舞伎を「秋川歌舞伎 あきる野座」といふところが、継承して無形文化財に登録されてゐるさうです。現在は、さすがに農民ばかりではなく、さまざまな職業の人があつまつてゐるさうです。

この日の出し物は「伽羅先代萩」の「問注所対決の場」と「詰所刃傷の場」でした。伊達藩の騒動を名を足利家に変へたもののやうです。歌舞伎では結構有名な演目です。

これを民家園の「船越の舞台」で演じてくれました。舞台は安政4年の建築で、近代的な演劇舞台で見るのとは違つた趣があり、楽しいものでした。

以前、京都で、かうした古い建物で野外で演じるものを何度か見たことがありますが、風情があつて大変よいものです。しつこいやうですが、無料ですし。そのうへ、無料だけに宣伝もほとんどありませんから、わりとすいてゐます(民家園のは東京だけに立錐の余地もないほど沢山の人が来てゐましたが)。したがつて、ゆつたりお芝居を見ることができます。

農村歌舞伎は片手間でやつてゐるとは思へない、しつかりした芝居で、夢中になつて見てをりました。歌舞伎は能と異なり、台詞がなにを言つてゐるのか分かるのが嬉しいです。

能は中世のものですので、なにをいつてゐるか、難しすぎてさつぱり分からないので、台本を読んでゆかないとわけが分からず退屈します。昔ほどはゐない玄人衆とそれを自称したがる人達だけで維持してゐるといふ意味では、能は今後残つてゆくのは難しいかもしれません。でも、いまさら俗受けを狙つたりはしないで欲しいのですが。

農村歌舞伎は、この頃よく見かける人情時代劇ではなく、古い古い仁義禮智信の世界、人情と孝行と忠義の世界の時代劇ですから、楽しいです。わたしはリアリズムが嫌ひなので、リアルでない封建時代の世界のはうが楽しめます。

おお、おお、つまんない理由で切腹してーと思はないではありませんし、あまりその場にゐたくはない世界ですが、お芝居なので楽しいです。

台詞の候文なども楽しいです。流れるやうにしやべる芝居がかつた台詞は懐かしいもので、昔の時代劇もかうだつたなあと思ひます。なにしろ、昔の時代劇は歌舞伎の人が多く演じてゐたので、当たり前のことなのですが。

それにしても、「すりや」といふ言葉が気になりました。それならばといふ意味? よく分かりませんが、分かつたら、日常生活でさつそく使つてみようと思ひました。