をどり
先日、公園で踊つてゐる一団を見ました。
踊りはとても楽しさうです。でも、わたしは生まれてこの方踊つたことがありません。
盆踊りも、ぼんやり見てゐるだけでした。踊りより金魚すくひに夢中だつたせゐもありますが。
80年代に流行したデスコやジュリアナ東京も、わたしには無縁でした。なにより、誰もわたしをさそつてくれませんでした。
フラメンコもハワイアンも、わたしには関係ありませんでした。
東をどりもです。これらは女性の踊りなので、わたしと関係がないのは仕方のないことかもしれません。
でも、わたしもたまには踊つてみたいのです。
天岩戸に隠れた天照大神は、岩戸の外のアメノウズメの裸踊りに惹かれて、ついつい出てきてしまひました。
踊りはそんな力があるものなのです。もともと、踊りは他なるもの、神に捧げるものでした。
踊りは、楽曲とともに、集団で、ある枠をもつた動きをくりかへすことでリズムを生み出します。
その通常ならざる動きが、人間の奥底にある力のやうなものをゆりうごかすのでせう。
さうなると、踊りが力であるならば、死の舞踏(danse macable)はいつたいなにに捧げられたものだつたのでせう?
♪踊れ 踊れ 踊らぬ者に 誰が嫁にゆくものか♪ (「酋長の娘」)