再び国際きのこ会館
9月の終はりに書きました「国際きのこ会館」のお話を放置したままでしたので、また書くことに致します。幸福なことに、「国際きのこ会館」で検索された方(にとつては不幸なことに)が、たくさんこちらにいらつしやつてゐるので、続きを放置しておくのは失礼かもしれないと思つたからです。
さて、派手な金看板を横目で見ながら、わたしは殿堂に足を踏み入れました。
殿堂は現在「桐生国際ホテル」で、あくまでホテルですので、クロークがあります。
クロークに近寄ると、わたしの気配を察したのか(霊能力ならぬ霊芝力で)、さつそく黒い背広を着た落ち着いた感じの痩身の執事風の男性があらはれました。
お湯にはひりたいのです。
わたしがさういふと、執事はにこやかにほほゑみまして、温泉は階下にあり、いまなら貸切状態で使ふことができると言ひました。
入浴料は八百円でした。かばんをあづけて、わたしは階下に向かひます。
きのこの殿堂は、執事以外は人つ子ひとりゐませんでした。お客の少なさに、信仰薄きこの頃の日本の現状があらはれてゐます。もつとも、平日の雨の日ですからそんなものかもしれません。人の多く、列をなす必要のある場所が苦手なわたしには、有難いことです。
きのこ柄の絨毯(9月30日に写真を掲載しました)を踏みながら、わたしは温泉に向かひます。
階下には「わらひたけ」といふ居酒屋がありました。わらひたけエキスを呑まされるのでせうか。お客がゐないせゐか、夕刻を過ぎないと開かないからなのか、お店は閉まつてゐました。
わたしは居酒屋の名前にわらひました。わらひたけの効用、すでにありです。
温泉にいつてみると先客が一人ゐました。きのこ人間かと思つたら、普通のをぢさんでした。たぶん。
しかし、をぢさんはすぐにゐなくなつてしまつたので、温泉はほんたうに貸切状態になりました。
銭湯でよく見られるやうに、身体をまつたく洗はずにそのまま湯船に漬かるといふ無作法は、わたしはしません。わたしは念入りに身体を洗つたあと、まづ室内の湯船にはひりました。
湯船の真ん中には巨大なきのこが立つてゐます。その傘から、こんこんとお湯がわいてゐます。
なんだか変な気持ちになります。きのこつて、よくみると人の頭みたいだなと思ひました。遠くから巨大なきのこが歩いてきたら、誰しもが人の頭だと思ふにちがひありません。
タツタ一人でお湯を吐く巨大なきのこを見てゐたら、さすがに気持ちが悪くなつたので、露天風呂にゆくことにしました。
雨がふつてゐます。細かい雨で、じつにきもちがよいです。わたしは頭だけ出して、雨を浴びます。
そこは山の上で、あたり一面濛濛とけぶつてゐます。露天風呂は境界もなく、そのまま深山につながつてゐて、たぬきやいたちやきつねが出てきさうです。実際、人間が入浴してゐない時は、動物がはひつてゐるのかもしれません。
露天風呂の上には、屋根がかかつてゐます。わたしは屋根を避けて、わざと雨のあたるところで湯につかりました。露天風呂にはひり、雨にあたるのはもつともわたしが好む娯楽であります。
露天風呂にかかつた屋根は、金物を使はずにしつかりと組まれた木でできてゐて、近頃の新興の露天風呂には見かけない立派なものでした。さすが聖地です。
温泉水滑洗凝脂
侍児扶起嬌無力
長恨歌の一節が浮かびます。楊貴妃が温泉につかつてゐる情景の描写で、少々Hな場面です。わたしの入浴姿にはふさはしくありませんが、まあよいでせう。
けぶれる靄は時とともに、いつそう濃くなつてきました。雨の日は夜陰のおとづれも早いものです。深山の樹々に囲まれた露天風呂は、ますます孤寂寥寥の感を深め、雨の瀟瀟とふる音があたりに響きわたります・・・
・・・わたしが楽しんでゐる場面ばかりつづつてゐても仕方ありません。やめにします。今度は、写真の「きのこの聖女」についてご説明しなければなりません。
(つづく)
その1 http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20060928
その2 http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20060929
その3 http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20060930