ダンディズム

kimikoishi2006-10-12

わたしは中学校、高等学校と詰襟服で過ごしました。

当時のわたしの姿は、いつも詰襟服に黒い短靴に黒いかばんです。黒づくめの姿はまるでからすのようでした。

真つ黒けの詰襟服は、戦前の巡査(冬服)や、映画「二百三高地」でおなじみの明治時代の陸軍の軍服のようで、とても気に入っておりました。

しかし、学友はこの服が気に入らないようで、裏地に赤い布を張つたり、燕尾服のやうに必要以上に長い詰襟服をこしらへたり、襟のカラーを異様に高くしたりして、さまざまな改造を試みていました。

襟のカラーをあまりに高くしたせいか、襟のホックが留まらず、いつも開けっ放しの変人もいました。カラーの高さを変えていない学友も、風の通りをよくするためか、いつも開けっ放しでした。

しかし、襟のホックをだらしなく開けっ放しでいるのは、わたしにはどうもかっこよくは見えないのでした。まるで、それは「社会の窓」を開放している姿に似て、わたしには耐えがたいものでした。

わたしにはつまらない矜持がありまして、それは頽廃的な姿を人目にさらしてはいけないというものでした。おしやれというものは、そもそも少々忍耐がいるものです。当時は、夏の真っ盛りに三つ揃いを着込んだ老人の姿も珍しくなく(おそらく明治生まれの老人)、わたしはそのやせ我慢のダンディズムに心打たれたものでした。

風通しのために襟を開けて、露出狂のような姿をさらすくらいであれば、服など着なければよいのであります。そう思った者も実際いたようで、詰襟上着は着ずに赤いスエーターなどで登校し、門扉の前で、かばんにしまいこんだ詰襟上着をとりだして、優雅に着る猛者もいましたが。これはこれでおしゃれなのかもしれません。

したがつて、いついかなる時も、わたしは襟のホックは締めていたのでした。これは、敵に無防備な姿をさらさない騎士の姿であると思ってもおりました。

それゆえに(なにが、それゆえにか分かりませんが)、わたしは休日でも詰襟服で外出するのが常でした。もちろん、靴もきれいに磨いておくのです。

友人たちは、そんなわたしにいつもあきれた顔をしていましたが、もしかしたらこいつは貧乏なのかもしれないとひそかに哀れんでいたのかもしれません。しかし、ダンディズムは物量の豊かさにあるのではありません。実際、下品な金持ちはその辺にいくらでも転がっているではありませんか。

ある時、ある書店で、わたしは端然とした姿で、岩波文庫を立ち読みしてをりました。もちろん、ダンディズムゆえに、本屋でHなる本を堂々と立ち読みしたりは致しません。

すると、老書店員が近寄ってきて、目を細めてわたしに言いました。

ほう。君は岩波文庫を読むのか。とても感心なことだ。

わたしはほめられて大いに得意になりました。今思えば、老書店員の行為は正しかったのか正しくなかったのか悩みます。大人はナウでない、奇矯な若者をうっかり褒めてはいけないのではないかと思います。なにしろ、わたしのように奇矯な若者は必ず、わたしのような変な大人になってしまいます。

それはともかく、なにか探しているのかい?と聞かれたので、幸田露伴の「對髑髏」というのを探していると言いました。書店員は腕組みをして、ううむ、とうなったあと、調べ始めました。

結局、その本は品切れだったようです。わたしはいまだにその本を読んでいません。

老書店員がわたしに声をかけたのは、端然たるその姿に打たれたからであったのではないかと思っています(もちろん、誰もそうは言わないでしょうが)。