くもとのたび
わたしは蜘蛛を飼つてゐます。
なんと、猛毒タランチュラでも飼つてゐるのか?
実は、さうなのです。タランチュラといへば、あの寸胴短足で剛毛が全身に生えた三島由紀夫のやうなナイスガイです。男心にぐつときます。死の毒蜘蛛として、川口浩探検隊シリーズなぞでは大活躍をしてゐましたが、実際のところ、人を殺すことはないやうで、猛毒の蜘蛛といふ表現は一寸大袈裟であるやうです。
冗談はさておきまして、本当は普通の蜘蛛を飼つてゐます。足の長さを入れて半寸もない蜘蛛です。
もつとも、飼つてゐるといふのは、当該動物ニ對シ恒常的ニ餌ヲ与フルコトであるならば、飼つてゐるといふのはおよそ正確な表現ではなく、蜘蛛とわたしの実際の関係は食客と主人といつたところでせう。
蜘蛛は部屋のあちこちを縦横無尽に駆け回ります。
初めはわたしを見かけるとこそこそと隠れたものですが、わたしがなんの敵意も示さないのを見て安心したのでせう。蜘蛛は今では堂々と登場します。
わたしの読んでゐる本の上にのつてゐたりします。うつかり頁を繰るところでした。
蜘蛛は電灯から糸を下げて、忍者のやうに降りてきます。寝てゐるわたしの顔の横につるつると下がつてきます。さうして、するすると糸をたどつて、また電灯に帰つてゆきます。
わたしは蚊と蝿と黒いいやらしい虫の闖入は許さず、抹殺を以てこれに対しますが、なにも悪さをしない蜘蛛には寛容です。もつとも、わたしが人に冷たくしたからといつて、その人を蚊か蝿と思つてゐるといふことはありません。また、人に優しくしたからといつて、その人を蜘蛛だと思つてゐるわけではありません。
人は足は六本ありません。蜘蛛なら八本ですが。
さういへば、たこをたべるのも好きです。
話がずれました。しかし、この頃、蜘蛛との仲は一寸進みすぎていると思はないでもありません。
わたしはある日電車に乗つて、遠い町にゆきました。さうして、キャッフェーで珈琲を飲んでをりました。
ふとみると、わたしの袖の上に、なにか虫のやうな小さな黒いものがのつかつてゐます。ちかめをちかづけて、よくよく見ると、なんと蜘蛛が座つてゐるではありませんか!
まさか、我が家の蜘蛛ではあるまいな?
なにも、蜘蛛との別離が悲しかつたわけではありません。蜘蛛に駕籠かき雲助にされたのかと少し歎然たる気分になつたわけなのです。それでもいいのですが。