丹波哲郎

kimikoishi2006-09-27

丹波哲郎が亡くなりました。というより、大霊界にお帰りになったというほうがよいでしょうか。

だいぶん前に、丹波氏の大霊界に関する本を読みました。そこには、霊界にゆくと、霊の個体性はあるが、家族も恋人、友人のような現世の関係はすべてなくなるとありました。それは、少々さみしいことだと思いました。

しかし、霊界にゆくと、先になくなった懐かしい人たちに会えるとも書いてありました。そうなると、その懐かしい人たちは幻影でない限りは、現世の個体性を残しているようなのですが、そのあたりのことはどう書いてあったか忘れました。いま手元にその本がないので、いずれ確認します。

丹波氏は昔『叛乱』(昭和28年)という映画に出ておりました。新東宝の映画で、立野信之『叛乱』という小説が原作です(最近、学研M文庫で復刊されています)。昭和11年二・二六事件を扱った映画です。

丹波氏は決起した部隊の少尉の一人を演じていました。決起後に訪れた陸軍省将官の前で、決起趣意書を読み上げていました。その口調はすでに、あの息継ぎなしに、大きな声でながながとしやべる丹波節でした。丹波氏は当時まだ若く、あまり目立つ役ではありませんでしたが。

『叛乱』は戦争が終わって、たった8年後の映画です。ですから、兵隊役をしている人たちの多くは実際に戦争に行った人でしょう。将官級の役の人たちは、大正時代の初めに兵役に就いた人もいたでしょう。それどころか、老人になりますが、日露戦争従軍者がいても不思議ではありません。

ですから、行進のシーン、敬礼や号令のシーンはなかなか圧巻です。今の戦争映画では絶対に出せない緊張感があります。

苦労して戦争ドラマなどをつくっている現代の業界の方には悪いのですが、昭和の戦争、もちろんそれ以前の日本の戦争を、軍隊をメインにして描くのはもう不可能ではないでしょうか。実際、今の役者で、精神的にも物質的にも現代化されていない人間はほとんどいないのではないでしょうか。

戦国時代を舞台にしたドラマなどでも、もはや当時の時代性そのものを感じられるものなど、まったくないでしょう。それは、部隊を昔にした現代劇でしかないのです。もちろん、それが当時をリアルに描いたものだという誤解さえなければ、それを楽しむのは悪いことではありません。

ですが、やたらに軟弱な、いまの中年や若者のだらしなさを全身で代表するような軍人ばかり出てくる戦争ものドラマは、反戦のメッセージのためとは言え、勘弁していただきたいと思います。昔の男性も、相当だらしない人間が多かったことは間違いありませんが。

しかし、昭和四十年代までなら、戦前を演じることのできる役者は多かったと思います。そして、時代劇も、いまよりよほどその時代らしさが出せる役者が多かったように思います。現代の役者の清潔な姿からは、到底江戸以前の日本をうかがうことは不可能です。もちろん、それはリアリズムとしてですが。

丹波哲郎はその点、戦前の人間を演じることのできる、今では数少ない役者であったでしょう。「霊界の宣伝マン」を自称していた氏に冥福を祈るというのは変な感じですが、それでも、ご冥福をお祈りしたいと思います。