註釈

kimikoishi2006-09-17

註がついてゐる本といふと、学術的な本に限られます*1

註は文末についてゐるのが普通です。なかには、本文の頁のうしろの余白についてゐることもあります。これは、西洋でも同じです。西洋では、後者は割と普通に見かけます。日本では、なかなかお目にかかりません。

文末に註がついてゐるのは、一々、本のうしろのはうへいつて、それからまた本文に戻らなくてはなりません。これが結構うんざりする作業で、註を見たら、たいしたことは書いてゐなかつたりして(本文を読み進むのに支障がなかつたりするので)、がつかりします。わたしは栞を二つ用意して、本文のところと、註のところにはさみます。

その点、本文の頁の余白に註がついてゐるのだと、一寸横を見ればよいので、助かります。でも、あまり普及してゐないやうですね。本文に註が侵食して汚らしい感じになるからでせう。でも、戦前の本にはわりとありました。漢文には、割註といつて、本文の中に活字を小さくして二行にならべた註をいれるものがあります。その習慣があるので、本文の余白にいれるはうが、戦前ならなじみがあつたのではないでせうか。

カントの『判断力批判』には、本文を短く切つて、その部分の解釈を一々つけた本が出てゐます。デカルトにもこの手の本があります。これは、註が本文より主になつてゐる本ですね(訳著者の側から見れば)。難しい本を読むときに、この手の本はとても助かります。哲学の名著で、この種の本がもつと出てよいと思ひます。ドイツの哲学はいきなり予備知識もなしに読むことは難しいと思ひます。わかりやすい註釈がたくさんついてゐる本があつたら、とてもよいと思ひます*2

文学には、岩波書店日本古典文学大系といふのがあります。これは、まづ古典文学の本文があつて、その上に註がならんでゐるのです。この古典大系には訳はありません。ですから、読みにくいところや、何をさしてゐるかわからないところに、註がつくのです。本文の頭の上にずらりとならんでゐます。もつとも、わたしは古典文は苦手で、近世のものならまだしも、それ以前ものは、この註だけでは到底読めません。

角川書店には、近代文学でこの形式をまねた本があります。明治時代の本になると、文語文も多いですし、着物の細かい描写など、いまや想像もつかないので、註が必要になるでせう。もつとも、角川のは三十年くらゐ前に出たものです。いまは、文学関係の凝つた叢書はまつたく売れないので、そんな本は出せなくなつてゐます。

最近は新書ブームです。なんでもわかりやすくといふことで、しかも単価も単行本に比べると安いので、当分この流れは続くでせう。でも、あまりに出る量が多いので、なにが出てゐるのか、まつたく知りません。出版社は、本屋の棚をおさへるといふのも重要なので、意地になつて毎月大量の新書を出します。減らすと、その分の新刊を並べる棚を他の出版社にとられてしまひます。

だからでせうか、図書館に収める価値のない新書がこの頃は多く見られます。この手の新書は数年後はあつけなく品切れになつてゐることでせう。新書は吟味して買ひたいものです。さうでないと、このいいかげんな新書ブームがかへつて出版文化を逼塞させることになるだらうと思ひます(いいのもあるのです。全部悪いとは言ひません)。

この新書といふものは、もともと難しい事柄に対する註釈の意味合ひが強かつたと思ひます。いまはさうでもないですね。趣味本に徹した新書はよいのですが、内容空疎な学術新書だけはご勘弁願ひたいものです。

*1:明治末頃の本で、外国の書物には「註」といふものがあり、これはなかなか良い慣習なので、わたしも真似してみた。と註をつけてゐるのを見たことがあります。なんといふ本か忘れましたが、明治四十年代だつたと思ひます。また、その本が日本で最初に註をつけた本なのかどうかは知りません。明治二・三十年代の本に詳しい方がお教へくださるとよいのですが。註といふものは、枝葉のやうにひろがつて、本文の余白に飛び出るものですから、考へてみれば不思議なものです。わたしが論文みたいなものを書く場合は、本文に入れると、前後のつながりが悪くなる場合に註に押し込めます。註の文献の表記といふのも独特で面白いものです。pp.だのffだのop.cit.だの変な記号がいくつかあります。その記号の一覧についてのホームページのアドレスは、ありくいのブックマークにありますので、興味のある方、必要な方はご覧ください。また、註が本文より多くなるといふ例もまれに見ます。有名なものは、ジャック・デリダ序文の『幾何学の起源』です。これはフッサールの『幾何学の起源』といふ短い本の仏訳に、長い長いデリダの註がついたものです。註が本文の数倍はあります。頭のいい人はおしやべりなんですね。もつとも、西洋哲学の歴史すべてがプラトン哲学への註釈だといつた人もあり、さうなるとプラトンには途轍もなく厖大な註がついてゐることになります。この註も本文より長くしてみようかとすこし思つたのですが、あきらめます。

*2:もちろん、学術色の強い註でなく、本文の理解を助けるための。