アメフラシ

kimikoishi2006-08-05

暑い日がつづいています。つい先日までの恩寵のような涼しさはどこへ行ったのでしょう? わたしは暑さがとりわけ苦手なので、雨が降って涼しくなってくれはしないかと、たびたび天を仰ぐのですが、どうも駄目です。

雨を降らせるアメフラシ、ということで、中国のある事件を紹介します。事の発端は、1935年5月に『新生』といふ雑誌に、易水といふ人の「閑話皇帝」といふ一文が掲載されたことにありました。

この一文の内容に対して、日本側が激しく抗議しました。その結果、『新生』の当該号は没収されて、『新生』編集長の杜重遠と易水、そして上海中央圖書雜誌審査委員が懲罰を受けました。これを新生事件と言います。

それでは、易水はどんなことを書いたのでせう? いったいなにが、日本政府の逆鱗に触れたのでしょう?

易は次のように述べています。

「日本の天皇生物学者である。天皇となったのは、世襲のためであって、本人はならざるをえなかったのである。

一切のことは天皇の名において行われるが、実際は天皇がとりしきっているわけではない。

外国からの来賓を接待して、軍の閲兵をして、どんな国家儀式を行うにも天皇が用いられるが、

それ以外の時は、天皇は忘れられている。日本の軍部や資産階級が、日本の真の統治者である」

その続きで、さらに易はこんなことを言っています。

もし彼が天皇にならなかったら、生物学でどんなに功績をあげたであろう。それは、生物学にとって大きな損失である。

日本は天皇を用いて、貧しい者と富める者との衝突をごまかし、また軍人や金持ちの罪悪を隠すのに役に立てている。

もうじき「大東亜戦争」が終わってから61年目になりますが、あの無謀な戦争を積極的に遂行させたのは、軍人や政府役人だけではなかったのです。裏で、悪い金持ちがさかんに活躍したのです。悪い金持ちにとって、戦争は金儲けの手段でしかありません。その金持たちは、戦後も何の反省もせずに、同じことを繰り返しました。

戦後すぐに、「戦時利得者」という言葉がはやりました。戦争でぼろもうけした人たちのことで、戦後の商業活動にこれらの人たちがずいぶん活躍しました。それを一概に非難することはできませんが、商業を中心に物事を考えると、人間の善悪、倫理や道徳など、すぐにどこかへ吹っ飛んでしまう例の一つだと言えます。

そういえば、スイスの銀行が、ナチス時代のユダヤ人の口座を没収したことが問題化したのは、そんなに前のことではありません(まだ返していないはずです)。たとえ、この頃のイスラエルが滅茶苦茶な国だとしても、スイス銀行の無茶苦茶がそれを理由に許される道理はありません。

去年の日本は、金儲けしてなにが悪いものかという風潮でしたが(テレビがつくっただけの風潮ですが)、なに、よくはないのです。悪いことが多いのです。

なにより、金は人間を大事にするとは限りません。その点は、無限増殖する病原菌のようなものだと言えるでしょう。

でも、お金はよい方向に使うと、よい力ともなります。その二元性を見極めることが重要でしょう。それは、精神についても同じことが言えるでしょう。

それにしても、易水の指摘は、戦後の生物学者としての天皇の姿を予見したものであったと言えます。

天皇は研究対象のアメフラシを召し上がったそうですが、あとで、まねをして食べてみた侍従は、とてもまずくてどんな味つけをしても、とても耐えられる代物ではないと言ったそうです。