ダ・ヴィンチ・コード

kimikoishi2006-06-29

ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を遅まきながら読みました。去年あたりから、読みたい読みたいとは思っていたのですが、なかなか機会がなく、読めませんでした。

また、なかなか読まなかったのは、聞くところによると、『ダ・ヴィンチ・コード』はキリスト教と隠された<女性性>の問題をテーマにしているとのことで、最近はあまりその系統の話題には興味がないので、読んでも面白くないかも知れないと思ったからなのです。

ダ・ヴィンチ・コード』は、ここ2年ほどでしょうか、ずっと人気がありまして、テレビでも去年と今年の春に取り上げられました。それを見て、本のテーマは大体知ったつもりでおりました。わたしはこのテレビ番組について以前書いたこともあります(と、偉そうですが、なんのことはない、このアリクイの日記にです)。

わたしが<女性性>に強い興味を持ったのは、およそ十年ほど前です。荒井献氏による『ナグ・ハマディ文書』の翻訳が岩波書店から出た頃です。その頃は、キリスト教にまつわる本ばかり読みふけっては喜んでいました。トマス・アクィナスなどの正統派の神学書もさることながら、聖女列伝や異端カタリ派錬金術の本、もちろんマリアとマグダラのマリアにまつわる本なども読みました。

しかし、女性は昔キリスト教の中では象徴的にも現実的にも今よりずっと高い地位にあった、というだけの話なら、知ってしまえば物珍しくもなく、そこに未来の展望を感じることもできません。かつてあったものは、そのまま取り戻すことはできませんし、取り戻すには、またあらたな適用を考えなければなりません。

昔よいことがあったというだけでは不充分です。歴史上の理想は、いつの時代も盛んに言挙げされて政治に利用されてきました。でも、結局昔のよきものが、そのまま元に戻ることはありません。歴史の事象を披瀝することと、それを今に生かすこととの間には、大きな径庭があるように思います。

わたしは資本主義追随型やルサンチマン型のフェミニズムには否定的です。なんといっても、あれは「否定的」なものですから、否定的なものに肯定的な未来はないように思います(もっとも、これは偏向フェミニズムに対しての悪口です)。嘘だと思ったら、日本の大学に多くいる自称「フェミニスト」を御覧になってみてください。「女性性」とはこの手の人とは無縁のものであるように思います。政治理論は知行合一であるべきなのですが・・・

それはともかく、『ダ・ヴィンチ・コード』は大変面白い本でした。主人公たちは追っ手から逃れつつ、暗号を解きながら、パリからロンドンに渡ります。謎解きはわくわくさせますし、意外なことが起こったりします。読んでいない人のために、中身にはこれ以上ふれませんが、解説本やテレビの特集よりははるかに楽しめると思います。

キリスト教の<女性性>の話やダ・ヴィンチの女性観など、そんなのもう知ってるよ、という人にも、面白く読めると思います。ぺダンチックすぎて読むに耐えないということは一切ありません(わたしは小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』は挫折しました)。

ダン・ブラウン氏のホームページを挙げておきます。『ダ・ヴィンチ・コード』クイズもあります。
http://www.danbrown.com/novels/davinci_code/reviews.html
ここには、ダン・ブラウン氏がポーズを決めている写真集のぺーじもあります(Meet Dan→Photoへ)。御覧になると、きっと愉快な気分になれます。

角川書店のホームページの中にあるコーナーです。写真がきれいです。読む前に見ないほうがいいとかいてありますが。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200405-05/

また『ダ・ヴィンチ・コード』では、あまり良いようには取り上げられていませんが、
http://www.opusdei.org/
オプス・デイのホームページ(日本語)です。「映画「ダ・ヴィンチ・コード」に対して皆様に伝えたいこと」という一文もあります。http://www.opusdei.jp/art.php?p=14815
こちらには、英語サイトですが「The Da Vinci Code, the Catholic Church and Opus Dei」という一文があります。当然愉快に思ってはいないようです*1
http://www.opusdei.us/art.php?p=7017

*1:日本には一神教の悪口を好む人が結構いますので、カトリック教会の弾圧の歴史などと聞くと喜ぶ人も多いでしょう。でも、それなら喜捨の精神を失った日本人のことも笑うべきでしょう。日本人は宗教を嫌う傾向が強いようですが、喜捨の精神を失って、それを取り戻す術を失った拝金教の日本人は、何をも笑える立場にはないように思います。わたしはとくに強固な信仰をもつわけではないのですが・・・