甲斐庄楠音

kimikoishi2006-06-25

今日、テレビの「新日曜美術館」が甲斐庄楠音を特集していました。かいのしょう・ただおと、と読みます。どんな画家かは絵を御覧になってみてください。こちら↓

http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/ecstasy/index01.html

岩井志麻子の「ぼっけえ、きょうてえ」の表紙の絵も、甲斐庄楠音のものです。岩井志麻子氏の小説はどれも結構好きですが、舞台が昔になっているもので、岡山弁が出てくるものがとりわけ好きです。

ぼっけえ、きょうてえ」は岡山弁ですが、「もんげえ、こええが」、または「でえれえ、こええが」という意味です。

甲斐庄は晩年には、ほとんど絵は書いておらず、映画に興味を持っていたそうです。溝口健二の映画の衣装や演出も手がけていたのですね。映画「雨月物語」の京マチ子の衣装などは、甲斐庄が選んだものだそうです。

また「新日曜美術館」ではじめて知りましたが、甲斐庄は幼少期に、母が父の下の世話をしていたのを目にしたことがとても強い記憶として、のちのちまで残ったそうです。とても汚ないものと、とても美しいものとの混交の妙を、そこに見たのでしょう。

この逸話から鑑みれば、甲斐庄の捉える「美」は、谷崎潤一郎のそれに通じるものがあるのかもしれません。谷崎の「青塚氏の手紙」という題でしたか、今でいうリアルドールが登場する大正時代の小説がありますが、これなど甲斐庄は案外喜ぶかも知れません。

また、甲斐庄は歌舞伎に傾倒し、自ら女装もしたそうです。かれの性愛観は独特のものであったことが想像されます。女装と言えば、ロラン・バルト折口信夫がいます。

ジョルジュ・バタイユの「美」に通じるものもありそうです。バタイユの「至高性」、「消尽されたもの」、「悪しき唯物論」など、甲斐庄を理解するには格好の用語かもしれません。

もっとも、わたしは気に入った芸術作品を解析するのはあまり好きではありませんので、ただ賛仰していればよいという主義です。気に入ったものは、斧鍼を加えず、あかず眺めていたいと思っています。そもそも、そんなわたしが甲斐庄楠音の絵に出遭ったのは高等学校時代のことでした。

それは、ある雑誌のグラビア頁にのせられていたのですが、岸田劉生の麗子像をしのぐグロテスクさに驚嘆しました。甲斐庄のその絵は大正時代のものでしたが、1930年のエロ・グロ・ナンセンスという言葉を思い出させました。とてもエロ・グロなのですが、それでもとても惹きつけられる絵で、いつまでもじっと見ておりました。

まだ本物の絵を見る機会がなく(京都国立美術館にあるそうです)、いずれは見たいと思っていますが、なにしろ甲斐庄の描く女は冥界の在の方のようですので、あちらに連れてゆかれないとも限りません(気に入られれば、ですが)。うっかり見ないほうが良いのかも知れません(わたしとしては、とくにこの絵が・・・http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/ecstasy/Htmls/x-01-0004.html)。ぼっけえきょうてえ。

甲斐庄の絵の系譜を継ぐ者は今はいないといってよいと思いますが、かなり傾向は違うものの、遊女やごぜを描いた斎藤真一があげられると思います。