木造校舎

kimikoishi2006-06-09

わたしが小学生の時、小学校は木造建築でした。

古色蒼然とした木造の巨大な建物でした。巨大に見えたのは自分が小さかつたからです。

木造校舎は床に穴が開いてゐて、そこに、わたしたちはごみをたくさんすてました。ごみだけでなく、大事な消しゴムだのおもちやだのをも、その穴に隠しておく子供もゐました。

床下にはひりこめば、また隠した宝物をとりにゆくことはできます。でも、ごみのなかに大事なものを混ぜるのは汚ないし、変だと思ふのですが、そこはまあ子供のことですから。

木造校舎は歩くと、ぎいぎいと床が鳴るところがいくつかあります。窓ガラスも、技術の悪い時期に作つたものなのでせう。ガラスがゆがんでゐて、そこからだと外がもやもやと変に見えるところがいくつもありました。このもやもやしたガラスを見てゐると、なにか別世界を見るやうな気分になります。長く見てゐると、少々気持ちが悪くなつたものでした。

でも、わたしはこの木造校舎が大好きでした。暖かい時期など、小鳥が室内にまでやつてきて、ちゆんちゆんと鳴きました。木の建物の中なので、鳥も参加しやすかつたのではないでせうか。

わたしは小鳥が来るこの教室で、よく居眠りをして怒られました。

一年生の時の先生は「禮子先生」といふ大正末年生まれの先生でした。わたしは漢字が大変に得意な子供でしたが、禮といふ字は知りませんでした。でも、「霊」は知つてゐたので、霊子先生だと思つてゐました。すごい名前だと思ひ、懼れてゐました。実際、霊に近いほど年をとつた先生でした。

わたしはこの木造校舎で六年間学ぶのだと思つてゐました。しかし、木造校舎が永遠にあると思つてゐたのは、大間違ひでした。

ある年、夏休みが終はつて、ひさしぶりに登校してみると、木造校舎はあたかたもなくなつてゐました。

大きな消しゴムを隠してゐた同級生は、なにもなくなつた地面にでくはして唖然としてゐました。

わたしも唖然としました。それから半年後に新しい校舎ができましたが、ペンキの臭いがぷんぷんする鬱陶しい建物でした。床に穴はありませんし、鳥も来なくなりました。ガラスもつるつるでゆがんで見えるところはありません。冷房などないので、夏は大変暑苦しく感じる校舎でした。学校の池のアヒルが、カラスに襲撃されて死んだのはそんな時でした。

それでも、居眠りだけは変はらず続けたのですが・・・

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写真館を開きました。ぜひ訪ねてやつてください。

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写真館には、右の写真のすこしおほきくなつたのもあります。