方向轉換
教習所で自動車の運転を教へてもらつてゐる時のことです。
バックで方向転換する方法といふのを教へてもらひました。
それは、自動車のお尻の右の部分をぐつと右に入れて狭いところに這入り、それから左折して出てゆくといふものですが(これでわたしの言はんとすることが伝はるでせうか?)、実に難しいのです。
まづ、指示器を右に出すんだと言はれます。
おおう? どういふことでせう?
自動車のお尻の右の部分を後ろに下げるといふことことは、自分から見て自動車のお尻の左の部分を左に向かはせることになります。
それなら、左の指示器ではないかと、わたしは言いはりました。教官はわたしのたはごとには共感していただけなかつたやうで、困つたなあといふ顔をなさいます。とにかく右だよ、とおつしやいます。
わたしはうーんと考へたすゑに、
後ろの自動車から見たら、前の車は、ああ右に向かふのだなとわかればいいのだから、右を出せばいいのだ。さういふことですね?
教官にさういふと、さうださうだとうなづかれましたので、わたしは得意になりました。
わたしは自動車の窓から阿呆面をのぞかせて、尻を左に入れなければと思ひました。さうして、ここだと教へられた地点で、左にぐるぐるとハンドルをまはしはじめました。
そこで、教官がブレーキをお踏みになりました。
右に指示器を出したんだから、右にまはすんだよ(ただし、原文は方言)。
と、おつしやいます。わたしは大いにびつくりしました。
そこで、さつそく絵を描き始めました。なるほど、右にタイヤをくるくるとまはさないと、車の尻はわたしから見て左に向かひません。
車の尻は後ろから見たら右に向かふわけで、だから右にまはせばよいのですね。でも、運転者から見たら左ですね? うーん。実にムツカシイですね。
と感慨もひとしほの表情で教官に申し上げると、教官はなぜかとても情けない顔をなさるのです。
ワシがセンセイ(わたしはなぜかセンセイと呼ばれました)を救つてやらにやあいけんな。
と言はれました。何のことかわからなかつたのですが、救つてくださると聞いて、大いに喜びました。はんこくれはんこくれと叫びはしませんでしたが、喜びました。
しかし、運動神経がよい人といふのは、わたしのやうに行動に移す前にぐだぐだと考へて立ち止まるところを、一瞬にして理解して処理なさるのでせう。それにつけても、なんとも困つたものです。