跳躍
いぬはいすの上でくつろぐのがすきです。
いすには、いぬの指定席が二つあります。
それは、いすの端つこです。まるで電車の座席の端つこを好む人のやうに、いぬはいつもいすの端にゐます。わたしはすぐ横に人に立たれるのが嫌ひで、いすの端つこはあまり好きではありません。もともとは好んでゐたのですが、嫌ひになつたわけがあります。
わたしがある時、電車の座席の端つこに座つてゐたら、横に人が立ちました。ここまではよかつたのです。それは、うら若き女学生でした。ここまでもよかつたのです。
ところが、何駅か過ぎたころに、にはかに何かが立ち籠めてきたではありませんか。なんだなんだ? と驚いて、わたしは周囲を見渡しました。あまりいい話題ではないので、もうやめませう*1。ところで、いぬの話のつづきです。
いすは少々高いので、いぬは力をこめて飛び上がらなくてはなりません。
ところが、いぬが眠くてしかたがない時は、これがうまくゆきません。
えいツと力をこめて飛び上がるのですが、うまくゆかなくて、ずりへとそのまま落ちるのです。
こんな時は、あッといふ顔をします。意外だ。なんだ、どうしてだ? やるせないぞ。といふ表情をします。
それでも、またえいツと試みます。鼻息荒く、力をこめて飛び上がります。
でも、またずりへと落ちてしまひます。そこで、やれへと後ろ足を支へてやると、年寄りでないワイ、ほつといてくれ、と怒ってうなります。
しかたなく放つておくと、ずゐぶん遠くまで後ずさりしたあと、一気にいすに向かつて驀進し、えいツと飛び上がつたかと思ふと、いぬはいすの上にゐました。やうやくいすに登ることができたのです。
しかしながら、わたしとは一切目を合はさずに、いぬはそそくさと指定席に移ります。
どうも先ほどの失敗が許せないやうで、触はると、がるへとうなります。とても機嫌が悪いやうです。きつと、自分に怒つてゐるのでせう。
最近、わたしは、さて、お茶でも入れるかと立ち上がり、ふと目に入つた本をうつかり手に取つたら最後、はて? なんで立ち上がつたのでしたつけと忘れてしまふことが、しょつちゆうです。こんな時、がるへと自分に怒らなければならないのでせう。わたしは恬として恥ぢないので、ひどくなるばかりです。
*1:誰方かが音もなく放屁せられたのです。