虞美人

小樓昨夜又東風

虞美人 李莘

春花秋月何時了
往事知多少
小樓昨夜又東風
故國不堪回首月明中

雕欄玉砌應猶在
只是朱顏改
問君能有幾多愁
恰似一江春水向東流

南唐の末代皇帝、李莘(り・いく)の漢詩です。内容の解説はhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/liyumn.htm
に詳しく書かれてをります。

わたしはこの漢詩を暗記してゐますが、それは訒麗君(テレサ・テン)が歌つてゐるからです(http://www.youtube.com/watch?v=005APM_Y8yw&search=teresa%20teng)。とても気に入り、いつしか覚えてしまひました。

李莘のこの漢詩は大変物悲しいもので、それもそのはず南唐が滅び、李莘が幽閉されてゐる時の詩だからです。

しかし、この陰鬱な詩のために、李莘は殺されることになつたさうです。李莘を幽閉してゐた皇帝がこの詩を知つて激怒したからださうです。

李莘の「虞美人」は不吉な漢詩だと申せませう。これを歌つた訒麗君も故国への思ひを抱へたまま、若くして亡くなつてしまひました。わたしが訒麗君の「虞美人」を聴いたのはそのすぐあとです。

不吉な詩といへば、「船頭小唄」といふのがあります。

俺は河原の枯れすすき
同じおまへも枯れすすき
どうせ二人はこの世では
花の咲かない枯れすすき

おお、同感の至り。わたしも安酒ですつかり赤い顔になつて、一緒になつて大声を張り上げて歌ひたいところですが、この歌は大正12年より少し前に流行しました。節がわからない方は、近所のご老人にでも聞いてみてください。昭和40年代に森繁久彌がレコードに吹き込んでゐるので、案外若いご老人でも知つてゐるでせう。

さて、大正12年には関東大震災がありました。当時はもちろん「関東大震災」なんて言はなかつたのですが、ともかくあの大地震がありました。

震災後に、幸田露伴*1は、船頭小唄みたいな不吉なうたがはやるから、あんな大地震が起こつてしまつたんだと言ひました。

わたしは高等学校生の時にこの話を聞いて、なんとまあ、露伴といふ人は無茶苦茶なことを言ふ人だと思ひました。

しかし、後年たまたま幸田露伴全集でその文章を読みまして、考へが変はりました。「震は亨る」といふ一文です*2

露伴は日本や支那の故事をいくつか引いてゐます。それは、不吉な歌がにはかに流行すると、なぜかそのあとに災害が起こつたといふ事例です。

もちろん、その因果関係ははなはだ古代的なものですが、げつはるゐのレミングの自殺のやうに*3人は集団単位の無意識で災害を予見することもあるのかもしれません。