新興芸術派

窓に凭れて

けふは大正浪漫の原点にかへつて、昭和初期についてのお話にします。いろいろありますが、とりあへずは当時の文学とモダンガールのお話です。

昭和5年ごろ、<新興芸術派>を名乗る一派があらはれます。龍胆寺雄、久野豊彦、浅原六朗、中村正常(中村メイコの父)、吉行エイスケ吉行淳之介、女優の吉行和子、詩人の吉行理恵の父、吉行あぐりの夫)といつた人たちです。

この一派は、マルクス主義文学に対抗するために集まった人たちです。なんと言つても、昭和のはじめはマルクス主義が大はやりで(大正10年〜昭和4年ごろまで*1)、文学でもその影響は著しいものでした。葉山嘉樹小林多喜二、徳永直といつた作家が「プロレタリア文学」を標榜して、華々しく活躍しました。

彼等の信条は、社会改革に関はりのない文学は堕落したものであり、ブルジョワの滅ぶべき玩具に過ぎない。だからこそ、プロレタリア革命に裨益する文学を作らなくてはならない、といふものでした。

大正の末から、プロレタリア文学の勢力は増す一方で、プロレタリア文学にあらざる文学は文学に非ず、といふ勢ひでした。芥川龍之介昭和2年の服毒自殺が、大正文壇の終はりを象徴するものとよく言はれますが、その背景には、プロレタリヤ文学の専制といふ状況があつたのです。

これは、思想や文学の影響力がとても大きかつた時代のお話です。いまは、思想や、とくに文学の青年への影響は皆無に近いものですが、当時は違ひます。デカルト、カント、ショーペンハウエル*2だけ知つてゐればよい大正時代は終はつて、マルクスを知らない学生は、アホだといふことになつていつたわけです。文学青年も自分のことだけ考へて、安閑と恋の歌を歌つてゐればいいといふ時代ではなくなりつつありました。

しかし、労働者ばかり出てくる小説なんぞ、あんまり面白いものでもありません(今読むと結構面白いのですが)。かうした風潮に不満をもつ若者もゐるわけで、そもそもつらい現実より、夢見がちなもののはうが、労働者の慰めだつたりもするのです。だつたら抵抗すべきではないか、といふことで有志が集まつて新興芸術派となりました。

新興芸術派の文学の特徴は、「モダニズム」といふ一語に尽きます。それは都会のモダンな風俗を活写したロマンチックな物語をつくることを目指しました。

この派の統帥者であつたのが、今は無名ですが龍膽寺雄(りゆうたんじ・ゆう、1901−1992)です。彼の描くモダン・ガール(名前は作ごとに異なりますが、同じやうなモダンな女性です)の像は、とても人気があり、モダン・ガールの理想像ともなりました。崩れさうな運命の勢ひに翻弄されながらも、それを吹き飛ばすかのやうに活発にふるまふ女性、憂愁を帯びた性的魅力をもつた可憐な女性の像を、龍胆寺は実にうまく描きました。

これに影響を受けたモダン・ガールが現実にあらはれたとのことです。

昭和30年代に、石原慎太郎が『太陽の季節』で新しい若者像を描いて衝撃を与へましたが、これに触発された若者がその真似をします(慎太郎がモデルとしたのは石原裕次郎です)。現実にあつたはずの若者像を現実の青年が真似するわけです。にはとりが先が卵が先かといふやうなもので、流行なんていつでもそんなものですが、かうした文学を通しての流行製作広告業ともいふべき元祖が、龍膽寺だつたわけです*3

昭和初期のモダンガールがどんな感じだつたかは、当時のアメリカの映画からも類推できますが、日本のそれとは少し異なります(谷崎潤一郎痴人の愛』のモダンガールはアメリカのモガがお手本になつてゐますが)。それより、龍膽寺の小説を見るはうが早いでせう*4

龍膽寺の小説は『放浪時代』、『アパアトの女たちと僕と』、『事務所』、『十九の夏』、『魔子』、『珠壺』など、昭和3年から9年までに書かれた諸作がお勧めです。ここに出てくるモダン・ガールは実にコケットリーです。モガは出てきませんが『塔の幻想』もおすすめです。

とは言へ、これらを読むには全集をあたるしかありません(『龍膽寺雄全集』昭和書院、絶版*5)。もつとも、講談社文芸文庫で1冊だけ出てゐます*6。『放浪時代』は、ここでも読めるやうです。→http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/ 中村正常の「アミコ・テミコ・チミコ」といふ愉快な話も読めるやうです。松永延造といふ怪作家の小説なぞもあるやうです。

学校で与へられる文学史では、新興芸術派は井伏鱒二梶井基次郎の名しか挙がつてゐないやうですが、この二人は実は新興芸術派の主流とは見なせません*7。当時の主流は先に挙げた龍胆寺雄、久野豊彦*8、浅原六朗、中村正常、吉行エイスケといつた今は無名の人たちでした。現行の文学史は意図的に歪曲されたものであるやうです。その委細は龍膽寺の『人生遊戯派』(昭和書院)といふ本にくはしいです*9。龍膽寺は昭和9年に「M・子への遺書」で文壇の暗黒を暴露して文壇から追放されますが、その件についても書いてゐます*10

モダンガールを知るには、流行歌も重要かもしれません。秋田登(楠木繁夫)の「カフヱーの唄」、河原喜久恵の「女給の唄」などがありますが、これらを聴くのはなかなか難しいことかもしれません。当時の雰囲気を知るには、佐藤千夜子「東京行進曲」、「摩天楼」、二村定一君恋し」、「洒落男」、藤山一郎「影を慕ひて」、「東京ラプソディー」なぞを聴くのが手つとり早いのですが、なつかしのメロディがいつのまにか昭和三十年代中心になつてしまつた今、簡単には出会へなくなりました。

二十年以上前でしたら、テレビに藤山一郎、市丸、小唄勝太郎東海林太郎淡谷のり子といつた戦前のスターもよく出てゐたのですが。

最後にモダンガールが出てくる、その他の昭和初期の文学作品を思ひつくままに挙げておきます。野溝七生子『女獣心理』、尾崎翠第七官界彷徨』、広津和郎『女給小夜子』、夢野久作『少女地獄』『ココナットの実』、深尾須磨子の詩、原阿佐緒の歌。『モダン都市文学』といふ便利な叢書が平凡社から出てゐたはずですが、あれはもう入手できないかもしれません。仮名遣ひを新カナにしてゐるので、時代の香気は失はれてゐましたが、昭和モダニズム文学といふものを一覧するには便利です。

*1:プロレタリヤ文学の衰退は、教科書の記述では国家の弾圧が原因といふことになつてゐますが、昭和初期のマルキストの内部分裂も衰退の主要因であり、国家の弾圧にのみ原因を見出すのは誤りだと思ひます。

*2:この三人の名を冠したのが丹波篠山のデカンショ節だと言はれてゐます。ちなみに、ショーペンハウエルは今はショーペンハウアーと言ひます。戦前はドイツ語単語の語尾のerをアーでなくエルと表記します。シェライエルマッヘルとかです。シラーをシルレルとか。

*3:厳密に言ふと、江戸時代からすでにありますが。

*4:夢野久作の諸作も参考になるかもしれません。久作は昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスを一手に扱つた作家で、惜しくも父杉山茂丸(右翼玄洋社の大物)の葬儀で疲労したのか、父を追ふやうに急逝しました。

*5:全集には、龍胆寺の夫人の写真も載つてゐますが、この人が龍膽寺のモダン・ガールのモデルです。一見の価値あるシャンです。このシャンといふ言葉は龍胆寺がこしらへたさうです。美人といふ意味ですが、フランス語でchien=女性の魅力といふ意味です。chienは元来「いぬ」といふ意味なので、なぜ女性の魅力といふ意味が発生したのか分かりませんが。

*6:『放浪時代・アパアトの女たちと僕と』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061963996/notebook011-22/503-8829876-5494302 ついでに、松岡正剛氏の龍膽寺雄『シャボテン幻想』書評http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0178.html

*7:昭和初期の井伏は「夜ふけと梅の花」のやうな荒唐無稽なモダンな作品ばかり書いてゐました。教科書では『黒い雨』を書いた退屈でまじめな作家として紹介されてゐるのでせうが。「山椒魚」に昭和初期のモダニズム文学の影響がわづかに伺へます。

*8:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4875023707/qid=1143807563/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/503-8829876-5494302

*9:この本には、川端康成藤圭子にひどくご執心だつたといふ話ものつてゐます。

*10:追放後は、シャボテン栽培の権威となり、戦中には歴史小説を書いて直木賞候補作家となり、戦後はフロイト主義セクソロジスト・高橋鐡主催の雑誌『あまとりあ』などで、エロ作家として一時活躍してゐました。作家としては不遇でしたが、80歳を超えても創作活動は続けてゐました。最晩年に平凡社の『太陽』が龍胆寺の写真を表紙にでかでかと掲げて(怪人として)紹介しました。