オーカッサンとニコレット 再び

kimikoishi2006-03-24

『歌物語 オーカッサンとニコレット』をまた読みました。岩波文庫で、本文はたつた80頁なので、すぐ読んでしまひました。中世フランス文学の碩学による解説も、なかなか面白いものでした。

『オーカッサンとニコレット』は團伊能といふ美術史家が、大正12年にすでに翻訳してゐるさうです。この人は昭和8年五・一五事件で殺された團琢磨の息子でせうか? となると、音楽家團伊玖磨の父ではないでせうか? 團伊玖磨の父は学者であつたと聞いたことがあります。

この物語はとても短いので、すらすらと読めます。これから読まうとうつかり思はれた方のために、あへて物語の先の筋は申し上げますまい。岩波文庫で復刊されたばかりですから、入手もしやすく、薄いので値段もお安く、わたしのしつぽに賭けてお勧めです。ただ、昭和27年に出たものの再版なので、旧漢字に旧仮名遣ひですが。

先日の続きにすこしだけ触れておきますと、物語には奇妙な国が二つ出てきます。

その一つは、カール・ポランニーが指摘している「沈黙交易」を思はせる面白い国です。そこでの、オーカッサンのふるまひは、実に怪しからんものです。

ニコレットは終始賢女なのですが、オーカッサンはすこし不安定な性格です。わたしが美女であれば、かうした王子様は決して選ばないと思ひます。

それにしても、イスラム圏の美女を賢者としてゐるのは不思議です。この物語が元々東方由来だつたからでせうか。これに引き換へて、肝心のキリスト教徒の王子様は少し足らぬ方のやうです。

王子様のとりわけイタイ発言の一つに、

愛のためなら地獄にゆきたい。だつて天国なんて、がちがちの堅物だらけで、さえないやつしかゐないぢやないか。地獄には面白いやつもゐれば、恋多き美女もゐるわけだ。だつたら天国より地獄にゆきたい。

といふものがあります。困つたお方です。