ロマネスク教会

kimikoishi2006-02-28

山手線の目白駅を降りて、左に向かひ、目白通り沿ひに十分ほど歩きますと、目白聖公会の礼拝堂が現はれます。

昭和四年(1929)に建てられたロマネスク様式の聖堂で、小さな建物ですが、ステンドグラスがとても美しい教会です。神田のカトリック教会もほぼ同時期の建物ですが、なぜかよく似てゐます。

ステンドグラスの一つに、聖アグネスの像がありました。百年前の英国製のものださうで、なるほどロセッティやウィリアム・モリスを髣髴とさせる人物像です。

アグネス・チャンのアグネスは、もちろんこの聖アグネスからとられたものでせう。それはともかく、アグネスは子羊とともに描かれることが多く、目白の礼拝堂でも、子羊がアグネスの足元にゐます*1

アグネス像は、パリの聖ユスタッシュ(Saint Eustasche)教会にもあります。とても小さな像ですが、わたしはこの像がとても気になつて、帰国後、写真を撮らなかつたことを大いに後悔しました。

目白の聖公会の屋根には丸い筒を並べたやうな模様がついてゐますが、神田のカトリック教会にもこれがついてゐます。これは、フランスではあまり見られないやうに思ひます。北ヨーロッパに多く見られる建築装飾ではないでせうか。

ロマネスク様式はとても可憐で、ちひさな教会にじつに合ふ様式だと思ひます。しかし、ゴシック様式の教会が日本にはあまりないのは残念です。ゴシックはとにかく馬鹿でかさを競ふものですので*2、日本の建築事情には合はないのでせう(お金がかかるし、地震がしよつちゆうあります)。

しかし、教会と云へば、天をつくやうなゴシック様式こそふさはしいと思ふのは、わたしだけでせうか。

はじめてパリのサン・シュルピス(St. Sulpis)やノートル・ダム、サントゥスタッシュといつたゴシック教会を訪れた時の感動は、今でも忘れることができません。カントが『判断力批判』で崇高と美を分けてゐますが、その崇高といふのはかういふものかと思つたものです。

日本の宗教がキリスト教ほどの強力な力をもてなかつたのは(それは中世においてもさうですが、とくに十六世紀頃の近代以降)、なによりも建築の粗末さに負ふのではないかと思ふほど(木造建築の限界でせうが)、ゴシックの威圧感はすさまじいものでした。

馬鹿は高いところが好きと、誰が言つたかわかりませんが、高いものはそこに帰属したいといふ気を起こさせるもののやうです。階級といふものが、そもそもさうではありませんか。地にはりついてゐる人間は、どうしても高い高い空に舞ひたがる宿命を背負つてゐるものなのでせうか。