モリヌークス問題と眼鏡男児
『メガネ男子』といふ本を本屋で見ました。
メガネの男がたくさん出てきます。有名人リストもありました。タモリや笑福亭笑瓶や澁澤龍彦が出てゐました。
相当古い人も、菊池寛なぞが出てゐましたが、佐藤春夫や稲垣足穂、吉行エイスケといつた眼鏡にこだはつてゐた人が出てゐないのは不満でした。毛沢東夫人で文化大革命の四人組の一人である江青(男ではないですが)や大清帝国の宣統帝、満洲国皇帝の愛新覚羅溥儀なんかも欲しいところです。昭和天皇や東條英機や甘粕大尉や、こんちやんこと大村崑や喜劇王ハロルド・ロイド、マルクス兄弟やトニー谷は出てゐたのかな。
『メガネ男子』は今時の人がたくさん出てゐるやうなのですが、古い人も出して欲しいです。さうでないと、この手の本はすぐに古びてしまひますし、なによりメガネ男をとりあげるならその手の大物ももつと欲しいところです。・・・さういふ趣旨の本ではないわけでせうが・・・
この頃は、古い人を知る人が減つてしまつて、書籍を書く人でも幅広く何でも化け物のやうに物知りな人が減つてきました。特定分野に詳しい人は多くゐますが、たとへば南方熊楠や荒俣宏氏のやうな物知りは減る一方ではないでせうか。
それは二・三十年前と比べても、さうなのです。もちろん、さういふ物知りさんは、いつのころかはやりました薀蓄屋さんとは違ひます。物を知るだけでなく、当意即妙にその知恵を料理して、わたしたちの前に出してくる人でなくてはなりません。さういふひとに、わたしはなりたい。
薀蓄屋さんとは、飲み会の席などで、誰も聞きたいことではないのに、人類の始祖は何百万年前の人だとか、日本一古い貨幣は和同開珎ではなくて富本銭だとか得意になつてつまらない知識をひけらかす人のことです。さういふひとに、わたしはなりたくない。
それはさうと、眼鏡といふと、わたしも用ゐてゐまして、老眼鏡も持つてゐるほどです。わたしはかなりかなり若いので、老眼鏡はをかしいのですが、強い近眼なのであまりに小さい文字はこれがないと見えないのです。
ですから、豆本は苦手です。作つてみたいとは思ふのですが・・・
さういへば、モリヌークス問題といふのがあります。それは、17世紀末から18世紀にかけて、イギリスとフランスで話題になつた、盲目開眼の問題についてなのですが、詳細は以下のペエヂにあります。
http://www.furugosho.com/precurseurs/diderot/molyneux.htm
生来盲目の方が、ある時手術によつてはじめて物が見えるやうになります。その時に、突如登場した視覚はどのやうなものなのか。といふ問題です。
生来の盲人が目が見えるやうになりますと、当初は、立体物などは平面としかとらへられないやうです。
なぜかういつた問題が18世紀にとりあげられたのかといふと、それは白紙状態に単に経験がどんどん積まれてゆき、人間の認識や知覚は生まれるのだとする経験論の修正を迫る出来事だつたからです*1。
白紙状態で、はじめてものが見えるやうになつた盲人の方は、はじめての視覚を修正してゆかなければならないわけです。その修正は白紙状態に経験が次々と折りかさなつて書き込まれるといふ単純なものではなく、後天的か生来のものかはともかく、修正機能のやうなものが、白紙プラス経験の上に、人間にそなはつてゐなければ不可能なものなのです。
盲人の視覚については、ディドロ『盲人書簡』(岩波文庫)、バークリー『視覚新論』(勁草書房)の翻訳の解説に色々と興味深い例が載つてゐます。興味深いなどといふのは失礼なことかもしれませんが、知覚や認識の問題を追及したい方に興味深いことは間違ひありません。