化野念仏寺

京都の嵐山の北に、化野念仏寺といふところがあります。あだしのねんぶつでら、と読みます。

わたしは嵐山の駅から竹薮を抜けて、縁結びの何とか神社をとほり、国鉄の踏み切りを渡り、落柿舎と枯れ田を抜けて、北にどんどん上がつてゆき、両側に古びた家並みをみながら、鳥居本に着き、最後にトンネルを抜けて、清滝に着く、といふ散歩の行程をこよなく愛してをりました。

その途中に、化野念仏寺があります。

そこには、何百といふ小さな石が並んでゐるのですが、すべて無縁の霊のお墓です。夏には何百といふ蝋燭をともして、追善菩提をするのですが、その光景は御覧になつた方も多いと思ひます。じつに、不気味なところです。

ここには、たつた一人でいつてはいけないと言はれます。一人でゆくと、かへりはなにかがくつついてくるといふことなのでせう。

ある日、わたしはここを訪ねてみました。ふだんは気味が悪いのと、京都名物のきはめて高い拝観料(500円程度ですが)に気おされて、訪ねなかつたのですが、一人ではなかつたし、いつてみることにしたのです。

はひつてみると、やはり強烈でした。何百といふ無縁墓が並ぶ光景はやはり不気味です。

それでも、他の観光客は嬉々としてをりました。写真をぱちりぱちりと撮つてゐました。わたしは恐れて撮りませんでした。なにしろ、子供の霊の供養塔のやうなところには、

ここで写真を撮られても、当寺は一切責任を持ちません。

と看板に書いてあるではありませんか。何の責任か分かりませんが、写真をとるとあまりいいことがないといふことくらゐは分かります。

看板に震へあがつたわたしは、桑原桑原と唱へながら、その場を離れましたが、「すみません」といきなり、背後から声をかけられました。

振り向いたら、そこに着物を着た子供が立つてゐたなんていふことがあつたらいやだなあと思ひながら振り向くと、なんのことはない、若い女性二人が立つてゐました。

写真を撮つてもらへませんか?

さうして写真機を差し出すと、莞爾と笑ふではありませんか。

わたしは震へあがりましたが、断る理由が思ひつかなかつたので・・・撮つてあげました。

なんとも物凄いお嬢様方で、これが這入るやうにしてください。と言つて、何百もの墓石を指差すではありませんか。ああ、さういふものをしつかりと指差すのも、昔からよくないと言はれてゐるのですよ、と心の中で震へながら思ひましたが、言ひませんでした。

しつかりと撮つてあげました。撮りますよーと言ふと、お二人はおたふくのやうに相好を崩してをられましたが、帰つてから、思つた以上ににぎやかな写真になつたことに気づくかもしれません。

わたしが子供の頃、恐怖の心霊写真集といふ本が流行したのですが、そこに海を背景に立つてゐる水着姿の女性の頭に、ナイフがつきささつてゐる写真が載つてゐたことがありました。

もちろん、実際にはそんなナイフはありはしません、水着姿で、ナイフを頭に立てて、笑つてゐられるとしたら、心霊だのなによりもその女性のはうがこはいです。

その時、気になつたのは、ナイフが変だつたことです。それはビフテキをたべる時のあのナイフだつたのです。