カタコンブ
パリのメトロ4号線6号線とRER(郊外高速鉄道)B線のダンフェール・ロシュロー(Demfert-Rochereau)駅を降りると、カタコンブ(catacombes)があります。カタコンブは固い昆布といふ意味ではなく、地下納骨廊、墓穴のことです。
catacombesの「cata」はギリシャ語「κατα」で「下に、全、対して」といふ意味です。「combes」は「墓」です。下にある墓といふことですね。
カタコンブはどんなところかといふと、
http://www.jlhs.nhusd.k12.ca.us/Classes/foreign_lang_page/french_home/cheryl_kuhlmann/catacombes.html
http://catacombes.tripod.com/
と、こんなところです。
日本では、パリにこんなところがあるとは、それほど知られてゐないかもしれません。テレビで取り上げるパリは、OH!シャンゼリーゼ(Aux Champs-Elysée)などのおしやれな町に限られてゐます。カタコンブはパリの暗部ともいふべきところでせう。栗本慎一郎がブダペストを例にとつて経済人類学的視点から言ふやうに、都市にはつねに光と闇があります。
カタコンブはウクライナにもあると聞いたことがあります。テレビで取り上げてゐたことがありました*1。
パリのカタコンブは、入り口をはひると、すぐにぐるぐると螺旋階段を降りてゆくのですが、夏なほひんやりとした場所で、とても薄暗いのです。なかなか味はひがあります。降り立つたところは薄暗い廊下です。
ところどころランプがわびしくともつてゐる長い長い廊下をゆくと、いきなり骸骨の山があらはれます。何百の骸骨(頭と大腿)が重なつてゐます。これは、人口急増の対策として、200年前にあちこちの教会の墓所の骨を集めたものださうです。全部で600万体あるとのことです。
壁のあちこちにラテン語で死に対する警句が書かれてゐます。memento mori(メメント・モリ 死を忘れるな)などです。わたしは羅甸語はさつぱり判りませんので、何とか推量できるのはごく一部で、ほとんど意味が分からないのがとても残念でした。今度は辞書持参でゆきたいと思ひます。
わたしは信心深いはうですので、写真を撮ることはできませんでした。骸骨ばかり見てゐると、生きてゐるこちらのはうが少数派で、わたしより彼らのはうが生き生きとしてゐるやうにさへ見えてきます。心なしか、ある場所では骸骨が踊つてゐるやうに見えました。
どんどん進んでゆくと、日本人が2人ゐるのをみかけました。各々、立派な写真機を持つてゐましたが、撮影はしてゐませんでした。とても撮る気にはならなかつたのでせう。
ところが、わたしがぼんやりと骸骨を眺めてゐたところ、突然うしろから英語を操るガイジンさんが現はれました(わたしもガイジンなのですが)。
赤ら顔の太鼓腹禿頭オヤヂ2人と赤ら顔黄色と茶色のまじり毛の太鼓腹女性1人の合はせて3人でした。見たところアメリカ人です。イギリス人かもしれませんが。
3人は陽気にべらべらとしやべりつつ、じつに愉快さうな顔をしてゐます。
そして、おうおう、となにか言ひながら1人のオヤヂが、連れの2人を並べて、カメラをとりだすと、骸骨と記念撮影を始めました。
わたしはすつかり魂消ました。そんな強烈なことをして大丈夫かと心配になりましたが、彼らはいつかう気にしてゐないやうでした。
写真を撮り終はつた彼らは、ご丁寧にも今度は先程の撮影者のオヤヂと骸骨の写真を撮り始めました。かたはらに太鼓腹女性を再び添へることもわすれません。撮り終はると、3人とも、うやーといふやうな喜びの声をあげてゐます。
彼らの陽気さなら、たとへ帰国後、写真に笑つてゐる骸骨が多数写りこんでゐたとしても、まつたく意に介することはないでせう。
むしろ、笑ふ骸骨を見つけるや否や、3人とも老眼鏡を取り出して、くりかへし写真をみつめては互ひに顔を見合はせまして、そして満面の笑みを浮かべて、3人ともに拳骨を突き出し親指を立てて、うやーとまた喜悦の声を上げることでせう。
わたしは一緒にうやーと喜悦の声を上げることはできさうになかつたので、どうだ?俺達の写真を撮つてくれないか?と言はれるのを恐れて、はやばやとその場を立ち去りました。