檸檬

kimikoishi2006-01-22

シトロエン(Citroën)といふ自動車があります。去年は1,395,000の自動車が売れたさうです。わたしはこれが多いか少ないかもわかりません。

わたしがシトロエンに興味を寄せたのはレモン、檸檬citron)が好物だからです。

梶井基次郎の「檸檬」に出てくる京都の丸善は、なくなつたさうですね。梶井が檸檬を買つた水菓子屋はまだあるさうです。その近くに、三月書房といふ三月ウサギみたいな名前の本屋さんがあります。店番のお婆さんはお元気なのでせうか。少々変はつた本屋さんなので、書痴のかたはお訪ねください。京都市役所の少し北にあります。

南をすこし下がると、澁澤龍彦四谷シモンといつた人たちがお好きな方の札所みたいな場所になつてゐるアスタルテ書房があります。此処も変はつた本屋さんです。

そして、また話が変はりますが、日本の宴会はわたしは大嫌ひなのです(宴会そのものではなく、宴会場の設備に関することなのですが)。

なぜかといふと、わたしは麦酒が苦手なのに(冷たく安い酒は病気になりさうなので)、かならず一杯は飲まなければいけません。そして、宴席のぶどう酒は薬のやうな香りがいたします。さらに、宴席の日本酒はメチルアルコールの香りがいたします。宴席の酒をあびるやうに飲んだら、死んでも腐らないかも知れません。

なにより、値段も高いですね。3000円くらゐが底値ではないですか。それなら、そのお金で気の合ふ友人とおいしい食事をするはうがましです。そもそも、宴席の食事は味が濃く、まづいものばかりです。

でも、仕方ないのかもしれません。宴席を用意する居酒屋さんにしてみれば、広い場所を貸してるんだから文句言ふなといひたいのでせう。味が濃いのは、お酒を飲むと味がわからなくなりますから、薄い味付けをするとなんだこれはと怒るをぢさんがゐるからなのでせう。

そして、これは自分が悪いのですが、畳の宴会場が閉口ものです。なぜなら、そうなると、わたしはぼろぼろとたべものをこぼのです。掘り炬燵式のところだとそんなことはないのですが。畳だと、長い長いダックスフントよりはるかに長い足が邪魔で、机との間に大きな幅が出来ます。

昔の宴席には、芸者が必ずゐたさうです(昭和四十年代くらゐまで)。飲めない人のお酒を芸者さんがそつと捨ててくれたりして、それはなんと心休まることでせう。いまもゐてくれればよいのに。さうなると、わたしは偉い人の話などいつかう聴かずに、芸者さんと話に夢中になるでせうから、不興を買ふことになりさうです。

嫌ひな宴席ですが、たつた一つだけ楽しみがあります。それは檸檬がたくさんたべられることです。

宴席の料理は、なぜか揚げ物が多いのですが、そこには檸檬がくつついてゐます。

わたしはそれを拾ひあつめて、全部たべます。ですから、檸檬をしぼつて揚げ物にかけたりされると、大変不満です。くしやくしやになつた檸檬では、さすがに食べる気はしません。

わたしはさりげなく料理をとるふりをして、檸檬をかき集めてゐたのですが、これは本人が思ふ以上に目立つ行為であるやうでした。

ある時、宴席がありまして、連なつたのですが、なんと同席の方が遠慮も何もなく、お皿いつぱいに檸檬を堂々とかき集めてゐるではないですか。

わたしの唯一の楽しみが奪はれたと、怒髪天を衝く勢ひで怒りたいのを、やつとのことで我慢しました。さすがに、そんなことで怒るわけにはゆきません。

同席の方は完膚なきまでに揚げ物の横の檸檬を集めきつたわけですが、おもむろにわたしのはうを向くと、檸檬満載のお皿を差し出して、どうぞと嫣然たる笑顔で言ふではありませんか。

その時のわたしの喜悦の表情(それは、いぬが食べ物をねだる時並に大変見苦しいものであつたことが想像されます)といつたらなかつたでせう。大いに感謝して頂戴し、檸檬を賞味いたしました。宴席も悪くないなと思ひました。