記憶術

kimikoishi2006-01-16

紀元前500年頃にシモニデスといふ人がゐました。

シモニデスは招かれて、宴席に連なつてゐたのですが、女神の啓示でふらふらと外に出ました。すると、突然地震が起こり、宴席会場の天井が崩れ、出席者数百人は死んでしまひました。

つぶされた人たちは誰が誰だか分からなくなつてゐましたが、一人外にゐたシモニデスは、誰が何処にゐたかを正確に覚えてゐたので、身元が分かりました。

キケロ『弁論家について』で紹介されてゐるこの挿話は有名で、シモニデスは「記憶術」の始祖とされてゐます。キケロは「記憶」を「場所」と結びつけて「記憶術」を発展させました。

日本では、「古事記」だか「日本書紀」だかが、稗田阿礼といふ人の口述といふことになつてゐますね。稗田阿礼の頭の中にあるものを語らせたといふことで、いろいろと尾ひれはあるでせうが、記憶力の大変良い人であつたことはたしかです。

ジャック・デリダが『グラマトロジー』で紹介してゐたプラトンの一節があります。『ティマイオス』でしたつけ。ある時、王様の前に家来がやつてきて、

「王様。わたしは素晴らしいものを見つけました。それは文字といふものです。これさへあれば、いろんなものを保存し、覚える必要がなくなります」

その国は文字がなかつたのです。でも、王様は

「そんなものは要らない。なぜなら、そんなものがあると、物覚えが悪くなるし、だいたい文字といふものは誰もが反復して読めるのであり、それだともとの意味もなにもなしに、誤解だらけで流通することがあるのではないか。文字は痕跡に過ぎないのに、痕跡がもとのもののやうな顔をして歩きまはるのではないか」

と言ふのです。デリダは西洋思想は、エクリチュール、すなはち文字を一義的な意味を伝へるための二流のものと位置づけてきたと言ひます。プラトンのこの挿話はその典型と言へるものだといふわけです。

これを逆に言へば、エクリチュールがあると、その裏には、一義的な超越的真理がつねにひかへてゐることになり、その真理とは実際のところ何なのだと問はれれば、それはエクリチュールを超えたものだから、さうとしか言ひやうがないといふだけで済むことになります。

実はなんにもないかもしれないものに、その正当性を保障する制度が出来たわけで(これを否定神学と結びつけて、デリダは『プシシェ』といふ本を書いてゐます)、これは神学や政治といつたいろいろな方面で利用されてゆきます。その真理なるものの記憶がないといふことが、真理の存在を保証してゐるのです。まあ、それはともかく、

13世紀のライムンドゥス・ルルスは、アルス・マグナ(Ars magna 大いなる術)として、シモニデス、キケロ以来の「記憶術」をさらに発展させます。数種類の術によつて、世界をすべて読み解くことの出来る壮大な装置を発明し、のちのライプニッツの普遍学に大きな影響を与へました。

そして、わたしはこの偉業を次いで、「忘却術」を発明しました。

こんなのんきな動物のやうなわたしにも、不快なことは色々あります。さういふ時は記憶術より忘却術が役立ちます。

それは、奥歯をぎりぎりと噛みしめて、忘れる忘れると唱へます。これだけです。

すると、すつかり忘れます。これは、本当のことを言ふと、わたしの発明ではなく、何でも覚えてしまふ南方熊楠がやつてゐたことです。

どうぞ、お試しあれ。

わたしの夢は痛快無比なことが多いものですから、獏には手を焼いてゐます。

獏が夢をたべてしまふので、おかげで夢を見たことさへ忘れてしまふことがあります。