モンセラートの朱い本

kimikoishi2006-01-15

「The Black Madonna」といふCDがあります。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000007N63/qid=1137335225/sr=8-11/ref=sr_8_xs_ap_i11_xgl74/249-0234103-8337130

スペインのバルセロナ近郊にあるモンセラート修道院には、表紙の色から「朱い本」と名づけられた楽譜があります*1

「朱い本」は13世紀、14世紀頃のスペインの宗教歌10曲の楽譜です。教会での典礼用ではなく、モンセラートの「黒衣聖母像」を讃へて、巡礼者が歌ひ、踊るための器楽曲と歌です。

教会音楽と混交したものとは言へ、ほぼ中世の俗謡ですから、グレゴリア聖歌とはまつたく雰囲気が違ふものです。もちろんミサ曲とも。

どんどこどんどこと騒々しい器楽曲に、狂気のやうに民衆が喜びの歌声を上げるのです。中世の民衆の素朴な熱狂と歓喜が伝はつてきます。

値段の安いCDですから、おすすめします。中世泰西音楽である「古楽」は、誰もが気に入るといふものではないでせうが、これは自信をもつておすすめできます(18世紀・19世紀のいはゆるクラシック音楽とはまるで異なる趣があります)。変なものが好きな方にはお勧めです。

聴かれた後、なんだ変な奴だ。こんなものを好むなんて。とわたしに立腹せられるるかもしれませんが、いかにも教会典礼曲といつた感じのキリエ・エレイソンよりは気に入つていただけるかと思ひます。キリエはわたしはすきなのですが。

モンセラート(monserrate)はスペイン語ですが、フランス語でもほぼ同じで(mont serrate)、まはりがのこぎりのやうになつた山、といふ意味です。修道院は懸崖の下に位置するやうです。写真を見るとなかなかすごいところに立つてゐます。そもそも、修道院は変なところにあるものが少なくないですが。そして、この修道院は「黒衣聖母」が有名です。

黒い聖母は文字通り、まつくろけのマリア様で、「箱根山、昔背で越す、籠で越す、今ぢや寝てゐて汽車で越す、トンネルくぐればまつくろけのけ」ではないですが、とにかくまつくろけなのです。

モン・サン・ミッシェル聖母像もたしかまつくろけだつたと思ひます。

黒いのは黒人を模してゐるわけではなく(アフリカのマリア様の絵は黒人になつてゐることが多いのです)、キリスト教流入以前の地母神神話に由来すると言はれます。黒々と光る古い聖母像を見てゐると、不思議な気分になります。その色には独特の魅力があります。

黒い聖母は、父なる神の統一ある超越的な世界ではなく、人々の心の奥底にあるパッションを包み込む世界の表象なのでせうか。

わたしは南仏やスペインに多くあるといふ黒い聖母に出会つてはゐませんが、モン・サン・ミッシェルのなかにあつた小さな聖母には、不思議な安らかさを感じました。莫迦なわたしはよりによつて写真を撮つてくるのを忘れてしまつたのですが・・・

*1:江戸時代の黄表紙なんかも、表紙が黄色だつたから黄表紙なのでした。ウィトゲンシュタインの「青色本」「茶色本」とかいふのも、表紙の色から命名されたものでした。なんだか欲しくなつてしまふ名前です。岩波文庫も、昔は青帯だの赤帯だのといふ言ひ方をしたものです。今もするのかな。「僕は青帯は全部読んだ」と自慢する人なんかゐたものです。たぶん嘘だつたのでせうけど・・・。青帯は思想関係が集められてゐます。赤帯は外国語文学。