Hospices de Beaune

kimikoishi2006-01-12

田辺保『ボーヌで死ぬということ―「中世の秋」の一風景』みすず書房*1を読みました。

フランスのボーヌ(Beaune)に、15世紀半ばにつくられた貧民のためのホスピスHotel de Dieu(神の歓待所)があります。15世紀から1971年まで、あまたの病人を抱へてきました。今は場所を移してゐるさうですが、400年の長きに亙つて、無料のホスピスが現役で活動しつづけたといふのは驚きです。

建物は屋根瓦が特徴的な美しい木造建築です。わたしはこの建物は前から写真などで知つてゐましたが*2、建物の中味のことはよく知りませんでした。

貧民、病者に対する考へ方は、西洋と日本とはまつたく異なり、日本はどちらかといふとこの点は劣つてゐると思ひます。日本では、宗教や富者が、貧者や病者といつた経済に役に立たないものを救ふことをあまりしてこなかつたやうです。それは戦後以降とくにさうでせう。

時々、さういふ貧民を救はうといふ運動が起こりますが、残念ながら根付きません。貧民のための募金箱をあちこちに置いてまはる活動をしたなんとかといふ方は、最終的に日本人の冷たさに絶望して亡くなつたと新聞で読みました(日本の新聞ではないので、正確な情報ではないかもしれませんが)。この間も、貧しさについて考へようといふ世界的な運動がありましたが*3、深く理解されたとはいへないのではないでせうか。すくなくとも、テレビなんかは経済に与しないものとして一切無視してゐます。あまつさへ詐欺だと騒ぎになつてゐるやうです。

己の家庭を守り、その家庭の永久保存化のためにお金を増やして貯蓄し、といつたことだけが至上となつてゐる日本人の生活には、貧民なぞ頭の隅にはないやうです。一日中貧しさについて考へてゐる必要はないですが(実際。考へさせられるわたしは幸福とはいへないわけで)、クリスマスなどは本来さういふことを考へてよい日なのです。わたしは基督教徒ではないですが。

日本では、貧民に対しては脱落者といふ目でしか見ないのではないでせうか。貧民になつたのはお前のせゐだ、で終はりです。これは、明治以降強制されてきた、努力すればのし上がることができ、努力しなければ、人間としてごみだといふ考へ方が根底にあるからだと思ひます。

人間等しく運命のもとにあり、逆らへない、といふことが見逃されてゐるのは、やはりお金しか信じない、悪しき唯物論が横行してゐるせゐでせう。そして、それを助長するものこそ新聞やテレビなのでせう。かつては、それは教育だつたわけですが。

なんでも、頑張れば何とかなる。といふのは誤りでせう。もちろん、努力は必要ですが、運命は個人個人で異なり、それは明らかにまつたく平等ではありません。その運命には基本的には逆らへないと思ひます。

(かといつて、どうせうまくゆかぬ駄目な運命なら何もしなくてよいといふのではなく、たとへなにをやつても駄目でも、それでも、なにか努力することこそ必要なのでせうが。さういふ時どうするかといふ智慧に圧倒的に欠けるのが、今の日本人なのではないでせうか)

浮浪者の方々を社会のごみだからなにをしてもいいと、殴り殺したりする少年がたまにあらはれますが、これは日本の弱肉強食型・立身出世型教育(とそれを助長するテレビの世界)の弊害のなにものでもないでせう。

運命のもと、貧民となる者はかならずゐるわけで、富者がその富を獲たのもやはり運命の賜物なわけで、努力はそれぞれの運命のもとにあつて、はじめて効を発したものだと考へることはできないでせうか。

何でも、独力で為し遂せた、と考へるのは、あまりに傲慢ではないでせうか。その傲慢はその富を投げ返す、喜捨することにより、消す必要があるのではないでせうか。

どこかの新興宗教のやうに全財産捨てろといふわけではありません。単に、独力で何かを成し遂げてきたと強く誇りに思ふ、立身出世型の思考者は、時に、いづれは死んでなにものも残りはしないこと、運命のもとに救はれていまあること、を思ふ必要があるのではないでせうか。己が弱者であることを悟る必要があるのではないでせうか。

ボーヌのホスピスについての本を読みまして、そんなことを考へました。

この本はとても流麗な文章でつづられてをり、わたしはたちまちのうちに読んでしまひました。よくある下手くそな本は論旨が読む前から分かつてゐる幼稚なものだつたり、衒学趣味の事象の羅列でしかなかつたり、あるいは、やたら学者趣味でねちねちと細かいことにこだはつたりして、とてもついてゆけなかつたりするものですが、『ボーヌで死ぬということ―「中世の秋」の一風景』は、まるで深い学識の泉からこぼれでる流れのやうに感じられる本でした。

*1: http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622033771/qid=1136977681/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0234103-8337130

*2:増田正『フランスのカントリーサイド―さまざまなカフェ、レストラン、民家や町並み』集英社http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4085320513/qid=1136981625/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0234103-8337130

*3:ほっとけない世界の貧しさキャンペーン http://www.hottokenai.jp/ のホワイトバンド運動。この「ほつとけない」といふ標語には、わたしは懐疑的です。それは上に立つものが下にゐる者に対する言ひ方ではないでせうか。なにか貧民を猫か犬と同じものだと思つてゐるのではないかと邪推してしまひます。それは、http://www.whiteband.org/ (アメリカ) http://www.2005plusdexcuses.org/ (フランス)のサイトと比べて戴ければ分かります。貧困を共に考へ、貧困と共に闘ふといふ姿勢で、ねこちやんおなかすかしたのよしよし。ほつとけないなあ、といふ感じではありません。啓発運動を募金運動と勘違ひされて問題になつたわけですが、この標語にその問題の一端があらはれてゐるやうに思ひます。もちろんやるのはよいことなのですが。