ベルクソンと太陽族
石原慎太郎が紀宮様の披露宴の祝辞で、ベルクソンいはく、結婚は信仰と同じやうなもので、一種の賭けのやうなものであると述べてゐました。
ベルクソンが結婚についてどこで語つてゐるのかわからないのですが、結婚はたしかにエラン・ヴィタール(生の跳躍)になりうるもので、かつエラン・ダムール(愛の跳躍)を必要とするものかもしれません。相互ともにエランに耐へられなくなると、離婚に至るのでせう。
信仰も無論エランを必要とします。信仰以前とは根本において変はる必要があります。
だからこそ、子供の時の洗礼は無意味である、と哲学者が言つてゐましたが、誰でしたか。
ベルクソンが結婚についてどこで語つてゐるか調べてみようと思ひます。
検索をかけてみたところ、主著四冊にはなささうです。
ちなみに『道徳と宗教の二源泉』には男女関係について多少の記述があります。
OEuvresとMelangesを一寸調べてみましたが、結婚と信仰は似たやうなもので・・・
とは言つてゐませんね・・・