ラムネ氏
坂口安吾の「ラムネ氏のこと」(1941年)といふ一文があります。
ラムネの玉の発明者はラムネーといふ人ではないか。フランスの辞書にも載つてゐるフェリシテ・ド・ラムネーではないかといふエピソードからはじまつてゐる一文です。
ラムネは、ここではたかだか話の枕に過ぎないのですが、わたしはずつとまへにこれを読んで、ラムネのことばかり気になつたものです。
それはどうでもいいのだ、枕に過ぎないのだ、と安吾は酒焼けした顔で怒るでせうが、わたしはラムネが好きなものですから。
ラムネの玉は子供の頃あの狭い口にどうやつて入れるかと不思議に思つてゐましたが、びんの口はさいしよはぼかつとおおぐちをあけてゐて、玉を入れてから、しぼるのださうです。子供の時はこのびんを叩き割って、ビー玉のやうなラムネ玉を取り出しては宝物にしてゐました。こなごなになつたびんはその場に放置してきたので、最悪な子供です(もう時効ですので許してください)。
ラムネとサイダーの区別は、わたしにはわからないのですが、ラムネはどうもレモネードがなまつたもののやうです(レモネ→ラムネ)。サイダーよりラムネのはうがおいしさうな響きです。
フランスにはシードル(英語読みするとサイダー)といふ林檎サイダー酒があります。これが滅法界においしいのです。レモネードもよいのですが。
ちなみに、ド・ラムネーは十九世紀フランスの哲学者です。ラムネとは関係ありません。おいしさうな哲学者です。後代のモーリス・ブロンデルやジャック・マリタンのやうにカトリックを擁護した哲学者です。九鬼周造の「フランス哲学史講義」に記載があります。