第一次世界大戦

普仏戦争慰霊のサクレ・クール

フランスにゆき、驚いたことはいろいろとありますが、その一つが「第一次世界大戦」といふものが、フランスではとても大きな出来事だつたといふことです。


もちろん、頭ではわかつてゐたことですが、教会の中の慰霊碑など、町にある慰霊碑など、とにかく第一次世界大戦のものが多いことにびつくりしました。


どうしても、日本人にとつては、第一次世界大戦より第二次世界大戦のはうが有名なわけですが、欧州の人々にとつては、どちらがより大きなものだつたかといふことは言へないやうです。


ベルクソン第一次世界大戦について講演(「戦争の意義」)をしてをりますが、そこで、


「精神は物質の抵抗と衝突するものであること、生命は生者を打ちのめさずにはけっして前進しないこと、そして偉大な道徳的成果は多くの血と涙と引き換えることを余儀なくされている」


と述べて、戦争の犠牲に嘆くことはないのだといふやうなことを言ふわけですが、以前読んだときは、なんだかいけいけどんどんの戦争翼賛のやうな文章だと思つたのですが、
今回改めて読んでみると、第一次世界大戦で受けた衝撃があまりに大きなものであり、その犠牲もとても大きく、なんとか皆の自信を取り戻したいといふ願ひがこもつたものであつたことに気づきました。


第一次世界大戦は始まつた時は、すぐに終はると思はれてゐた戦争でした。それが、1914−1918年とずゐぶん長いものとなり、犠牲者も相当な数にのぼりました。敗戦国ドイツに対する矢鱈に厳しい賠償も、この戦争に対する悲しみと怒りを反映したものだつたのでせう。おかげで、ドイツは大不況になり、ナチスの擡頭を許し、第二次世界大戦を招くことになるのですが。


ベルクソンは子供の頃に普仏戦争を、壮年期に第一次世界大戦を、晩年に第二次世界大戦を経験してゐます。ナチス占領下での最晩年はどれほど大変なものだつたでせうか。


もつとも、ベルクソンは名士だつたから、パリ北郊にあるドランシー収容所*1には送られませんでしたが、数多くのユダヤ人がアウシュヴィッツに送られました。パリ東駅には、この駅から多くのユダヤ人が強制収容所に移送されたと書かれた看板があります。

*1:団地のやうな近代建築で、当時のまま残存してゐます。今は普通に人が住んでゐるやうです。