物質と記憶
台風が来るかと思つたら、それていつたやうです。むしむしとけふはあついです。
Henri Bergsonの Matière et mémoire を読んでゐます。
ただし、日本語で。ベルクソンの「物質と記憶」です。何度目かの再読です。
岩波文庫ですが(いまは入手できないやうです)、もとは大正時代の訳で、戦後暫くの時期にだいぶん直してはあるやうですが、90年前の訳をほぼそのまま使つてゐる岩波文庫はすごいです。
アンデルセンだかグリムだかの童話集も岩波文庫は昭和のはじめの訳です。とても味はひがあります。今手許にないので、その味はひぶかい訳を示せなくて残念です。
ベルクソンの「物質と記憶」の訳は、味はひぶかいといつてゐられない感じの訳です。五十年くらゐ前の活字の組版を使つてゐるわけですから、字がこすれてしまつて目に悪いです。
ぼわーと霞んだやうな活字です。
それにこれは変ではないかと思つたりして、原文を見ると、ああ、と思ふ箇所がありますが、翻訳である以上それは仕方がなく、訳者に文句を言ふ筋合ひのものではないでせう。
持続といふ語が最後に出てきますが、「時間と自由」の時の持続とは意味合ひがすこし変はるやうですね。ベルクソンはいや変はつてないといふかもしれませんが・・・
それにしても、わたしがきつねを描くと、どうしてかくも変なのでせう。アホつぽくなつてしまふ・・・