珈琲

kimikoishi2005-08-21

わたしは無類の珈琲好きですが、寒い冬に外の景色を眺めながら飲むのが一番好きです。


ところが、夏はさうはゆきません。暑いのです。でも、日本独特の氷で冷やしたアイスコーヒーはそれ程好きではありません。それは、胃腸が丈夫ではないので、冷たいものをがぶがぶと飲むわけにはゆかないからです。


胃腸が弱いといつても、たべものはいくらでも平気で、がつがつといくらでもたべます。ところが、冷たい飲み物はいけません。別におなかをこはすわけではないのですが、本能的に避けてしまひます。


といふわけで、けふも熱い珈琲を飲んでゐます。ほかほかとあたたまり、こんな不快なこともないのですが、やめられません。きんきんにひやさないで、ほどほどのあたたかさの珈琲でおいしい飲み方はないものでせうか。


ところでこれまでのお話とは関係ないのですが、


「自由にして広いベルグソンの世界にはパラドックスの謎が充ちてゐる。然かし其謎は古来の哲学者が提供したやうな枯淡な絶対的固定的のものではない。それは芸術の三昧郷までも達した構想的理智技を有つ人に由て描かれた多色多様の不可思議界である。しかもその世界は活躍と創造に充ちた世界であつて、いつも人を刺戟し、チヤームする力を有してゐる。彼れ、ローマンチツクな思索家にとつては、斯の形而上学の広い迷宮、第四ヂメンシヨンの世界、神と悪魔の住家、『空間』と『時間』の森ほど楽しく面白い狩猟場はなかつた」(中沢臨川ベルグソン」より)


大正時代のベルクソンの紹介文ですが、その粉飾的な文章が面白かつたので、引いてみました。全編かうした調子です。
中沢は工学博士で、技術系の仕事を生涯つづけた人ですが、同時に文芸評論家でもあるといふ変はつた人です(荒俣宏氏もコンピューターの仕事をしてゐたのでした)。


この頃は、世の中が狭くなつて、さういふ変な人はますます住みにくくなつてゐるやうに思ひます。