アウシュヴィッツ

kimikoishi2005-08-19

NHKで16日から4夜連続(5回)で、「アウシュヴィッツ」の特集を放映してゐます。BBC制作のものです。
元SSの将校で、アウシュヴィッツに勤務していたじいさまが出てゐましたが、さすが独逸人、過去の悪行はあまり反省してゐないやうでした。(もつともこの人は、アウシュヴィッツはなかったとする「歴史修正主義者」が許せず、出演に踏み切つたとのことです)


あの頃は戦争だつたから、そんなものだつた。といふのです。これにひきかへ、日本人のアジアへの贖罪意識はもつと高いです。とくに教育の世界で。


でも、ほんたうに戦争だつたから、いまなら非人道と写ることもあの頃はただの日常だつた、といふのは、実際にさうだつたのでせう。感覚が麻痺してしまふのでせう。


どんな時代にあつても、平和な時も戦争の時も、時代を超えた意識を保つてゐなければ、
時代がさうだつたから、環境がさうだつたから、といふ一言で済ませて、どんな悪行でも誰でもなしうるのでせう。


とくに、日本人は軍隊でなくても上の命令には逆らへないし、任務にことのほか忠実といふ悪い癖があります。この点は、ドイツ人に近いものがあります。それだけに、わたしはこはいです。時代が変はれば、日本人は平気で悪いことをするでせう。そのやうな時になつても、みんながみんなが悪くなるわけではないでせうが・・・


さういへば、阪神大震災のことは、テレビではボランティアと市民の温かき結束ばかりが語られますが、実際はそればかりではありませんでした。
ごく一部の人の非道な振る舞ひがあつたことは事実であり*1、未来の世界で、さういふ連中が跋扈しないやうに、かうした悪行があつたことを何度も鼓を鳴らして責むべきであると思ひます。


戦争や災害での日本人同士の憎しみ合ひを放映するのは、テレビも厭なのでせうが、それなら金と地位さへあれば偉く、どちらもない人間は屑だとふれまはるやうな番組もやめるべきであるし、不快な犯罪場面をすぐとりいれたがるドラマもやめるべきだと思ひます。


日本がさういふものを野放しにするのは、強い欲望を喚起させるコマーシャリズムのためだからでせう。お金稼ぎは結構ですが、人間丸ごと欲望になつてしまふのはどうかと思ひます。さういふ人がゐてもよいのですが、誰もかもが欲望のことばかり考へてはよくないと思ふのです。


古い話ですが、東京大震災の時の虐殺行為の罪はいまだに雲散霧消したままです。兵士でもない人が、平然と人を殺し、普通に生活してゐたことがあるわけです。兵士の非道行為ばかりがとりあげられれますが、兵士ではない普通の人でも残虐になる可能性があります。残虐な傾向の強い人といふのは、なんとかならぬものかと思ひます。


アウシュヴィッツの恐怖といふのは、終はつた話ではないといふのがたまりません。そして、日本人は追憶としてならともかく、現在形の過去の犯罪を見つめるのは苦手のやうです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4782801319/qid=1124420804/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-5202259-8328309
『不服従を讃えて―「スペシャリスト」アイヒマンと現代』
アイヒマン裁判に関する本ですが、イスラエル万歳でも、ナチス憎いでもない立場から考察した本です。

*1:実見したものだけでも、かなりの数に上りますが、被災者相手の阿漕な商売人や、カメラをぶら下げた嬉しさうな何百人にのぼる観客がうろうろしてゐたことを挙げておけば十分でせう。偉さうなことをいへる身ではありませんが、わたしはあまり日本人のモラルには信頼を置かないことにしてゐます。それはこの先多少なりともモラルが向上することを期待してゐるからなのですが。