ベルクソン
「アンリ・ベルクソンは大哲学者、大文筆家でしたが、それとともに、偉大な人間の友でした」
Paul Valéry, Discours sur Bergson, 1941
わたしが敬愛してゐる哲学者に、アンリ・ベルクソン(1859−1941)といふ人がゐます。
夏にパリを訪れた時に、わたしはベルクソンのお墓参りをしてきました。
パリのサン・ラザール駅から、落書きだらけの電車に乗つてガルシュに向かひました。
サン・クルウを抜けると、途端に車窓風景は田舎町になつて、赤い屋根の並ぶ美しい郊外の町をはるかに見下ろしながら、電車はガルシュ駅に到着しました。パリから二十分くらゐでしたでせうか。
ガルシュに降りたつたはよいのですが、ベルクソンのお墓はガルシュにあると聞いてゐるだけで、どこにあるかはまつたく分りませんでした。
さつそく途方に暮れます。
とりあへず、ガルシュの観光局にゆき、町の地図をもらひました。いたつて簡単な地図で、お墓がどこにあるかよくわかりません。ベルクソンのお墓はどこ?と観光局の女性にきいたら、知らないやうでした。
しかたなく、地図を頼りに、小さなガルシュの町をぐるぐるまはつてゐたら、小さな教会を見つけました。教会に来てゐたおぢいさん(岡本太郎みたいな風貌のおぢいさん)に伺つたところ、シメチウール(墓)の場所がやつとわかりました。
それは小高い丘の上にありました。
人つ子一人見当たらないシメチウールには、たくさんのお墓が並んでゐます。日本とは墓の形がまつたく違ふので、変な感じです。お墓の地図はありませんでした。パリ市内にある有名な墓場には一応だれそれの墓はここ、といふ地図があるのです。田舎だからそんなものはないのですね。
でも、ここまで来た以上しやうがありません。もう当て図法で探しまはりました。
ところが、十分ほどうろうろしてゐたところ、つひにベルクソンのお墓を発見しました。
わたしはベルクソン先生に挨拶をして、幼稚園児並み、いやそれ以下の動物の仏蘭西語で、
しばらくお話をしてきました。
ガルシュの墓地はしんとしてゐて静かなところでした。
ベルクソン先生に別れを告げて、お墓を出ると、坂の下のガルシュの町並みの上に、夏の遅い夕空がひろがつてゐました。