忘我 extase

kimikoishi2005-04-10

以前、悟りといふものに興味があり、意識のない状態の意識といふものはどんなものか、とても気になつたことがありました。つまり、起きてゐながら、半分寝てゐるやうな状態です。


禅の高僧なぞは、この意識のない意識(無意識ではないのです)を座禅によつて、つくりだすことができ、この状態にある高僧の脳波を測定すると、独特の線を描くと言ひます。


なにも意識してゐない状態は、なにを隠さう、わたしなぞはいとも簡単につくりだせます。
でも、それはほんの一瞬です。数秒くらゐです。意識しない、意識しないと心の中で唱へてゐたら、それは意識のない状態ではありません。純粋に意識のないぼんやりした状態は、なかなか長く続きません。いまは数秒しかありませんが、これが長く続いたら、なにか変はつたことが起こるのかもしれません。


白魔術の大家ルドルフ・シュタイナーは一日五分の瞑想で、誰でも超意識に目覚めることが可能だと言つてゐます。


西洋では、禅の悟りにあたるものはエクスタシーと言ひます。
エクスタシーとは忘我といふ意味で、εκστασις(ek-stasis)といふギリシャ語に由来します。ek=外に・stasis=立つといふ意味で、自らの外に自らが立つと、そんな感じのことです。エクスタシーは現在では性的な意味か、麻薬のことでしかないですが、神秘主義では、禅の悟りと同じく、とても重視されました。


忘我によつて、神に直接まみえた修道女はたくさんゐます。ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(十二世紀)、マグデブルクのメヒティルト、アビラの聖テレサ、カトリーヌ・ラブレーなど、枚挙に暇がありません。


この話は長くなるので、他日に機会を改めますが、わたしの忘我は数秒しかつづかず、それも、よけいな場面でしか発生しないのが困りものです。


たとへば、おいしいものをたべてゐる時がさうで、マドレーヌやお寿司などをたべてゐる時、ふつと意識が飛びます。はつと意識が戻つてきた時は、お菓子やお寿司はほとんど残つてゐないか、あるひは、もう完全にないのです。がつかりします。
 

わたしが忘我の高みにある時に、天使がかすめとつてゐるのだと思ふことにしませう。もつとも、天使は食事はしないのですけれど。


(右上の写真は、ビンゲンの描いた絵です。曼荼羅のやうです)

なほ、「中世音楽史に孤高の姿を記すヒルデガルト。超能力を持っていたといわれる彼女が神との交信を記録した歌の数々」を収録したC.Dがあります。

「エクスタシーの歌〜ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの世界」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EH0S/250-4652098-8549012