聖バルテルミーの大虐殺

kimikoishi2005-03-20

獨逸にはアウグスブルクといふところがあり、そこがちやうど、新教と旧教の境目になつてゐるさうです。そこから北はカトリックは殆んど無いさうです。北欧の旧教国はたしかに少なさうですし、南欧カトリックが殆んどです。地理的な条件で何か原因があるのでせうか。


地政学」といふ風土の特異性を分析する学問があるさうですが、地政学の大家にハウスホーファー(Haushofer)がゐます。この人は黒魔術もする怪しい人で、ナチスと深い関はりがあります。日本にも滞在したことがあるさうです。晩年は息子がナチスに殺されたり、不遇だつたやうですが、この地政学は戦前に日本でもそこそこ流行したやうで、和辻哲郎の「風土」といふ本はその影響を受けてゐます。


カトリックの北限がアウグスブルクにあるといふことは、地政学的な何かが関係してゐると見ることも出来るでせう。さういふことを書いた本は無いものでせうか。


プロテスタント宗教改革時には、カトリック王国の仏蘭西でも大流行します。宮廷のなかでも、新教信者は結構ゐたやうです。欧州の宮廷はあちらこちらの国と縁組をしますから、プロテスタント國出身者もゐて、なほさらのことです。
それでも、仏蘭西では新教は根付きませんでした。1572年8月24日には、新教徒の大虐殺がありました。聖バルテルミーの大虐殺といはれるものです(その日が聖バルトロメオの祝日であつたことからバルテルミーの大虐殺といふさうです)。


この大虐殺は教会の鐘を合図に不意打ちで行はれました。その鐘があつたのは、ルーヴルの東にあるサンジェルマン・ローセロワ教会(St. Germain l'Auxerrois)です。4000人が悲惨な殺され方をしました。其光景の絵をみたことがありますが、余り気持ちのいゝものではなく、今はすつかり忘れました。


サンジェルマン・ローセロワ教会は、ルーヴルより少し斜めに傾いて建つてゐます。何でも真つ直ぐにしたいルーヴルの建築家は、ルーヴル宮殿と釣り合ひが悪いので、ローセロワをぶち壊さうとしたらしいのです。
しかし、七世紀創建で十一世紀再建から五百年かかつて造られた長い歴史のある教会を壊すのは忍びないといふことで(また、新教徒虐殺の歴史を後世に伝へるものでもあるので)、結局、ローセロワそつくりの区役所を左隣にくつつけ、真ん中に塔を立てゝ、傾きを目立たなくする案がとられました。


世の中には、真つ直ぐにしなければ気がすまない人がゐるもので、部屋の中のものをすべて、壁と平行に置く人すらゐます。わたしはこの点無頓着で、部屋の対角線に蒲団を敷いてゐるのです。「四十五歳寿命説」(四十歳でしたか?)といふ本で、一時話題になつた西丸震也(大正震災の時に生まれたので「震」也なんださうです)は、若い時に対角線上に蒲団を敷いて寝ていたので、それを見た医者の兄に、頭がをかしいと言われたさうです。その話を知つた時は秘密を見破られたやうな気がして、どきりとしましたが、まあまあそれでも、と対角線の上で寝てをります。


四十五歳寿命説は、昭和四十一年生まれ以降の人の多くが、四十五歳で死ぬといふ説でしたが、結果がわかるのはあと六年ですね。周囲のそのくらゐのお生まれの人を見ると、何うも外れさうですね。予言といふものは難しいものです。もつとも、之は当たらなくて良い予言ですが。