モアイ像

をさなき頃、悪夢を沢山見ました。
今でも沢山悪夢を見てをります。子供の頃と少し違ふのは、夢から覚めた現実も悪夢であることです。子供の頃は悪夢から覚めれば、すつかり悪夢なんか忘れてしまへたものです。


といふのは、戯談ですが、子供の頃見た悪夢で印象に強く残つてゐるものに、「巨大な顔」があります。それは、夏だつたのですが、網戸一面に広がる大きな顔が、いきなりわつと現はれるといふ夢でした。一応夢だつたと思つてゐるのですが、ほんたうに夢だつたのか、あるひは、ほんたうに大きな顔を見て、びつくりして意識を失つたのではないのか、どつちなのかはもう分かりません。


たゞ聞くところによると、大きな顔の夢はあんまりよいものではないやうです。死の予兆、病の予兆であることもあるさうです。


さういへば、大きな顔におびえた思ひ出がもう一つあります。それは、また子供の頃のことなのですが、道を歩いてゐると、大きな大きな犬が(多分今見たらたいした奴ではないでせう)出し抜けにぬつと顔を近づけてきたことがあるのです。
其犬の顔の位置とわたしの顔の位置が同じだつたものですから、度肝を抜きました。度肝を抜いただけではありません。なぜかそのとき有つてゐた「よりぬきサザエさん」迄落としてしまつたのです。


サザエさんのことは良いのですが、犬はちやうどわたしと同じ高さで、その点だけは互角なはずですが、その後ろに長く続く胴体を見て、嗚呼勝ち目は無いと絶望したわけなのです。こちらは後ろに長く続く胴体はありません。犬は今思へば友好的で、舌をぺろぺろと出して、なめまはしてやらうとかまへてゐたやうです。


じつは、熊が人間に遭遇した時に、わたしが抱いたのと同じやうな恐怖をいだくといひます。熊は四つんばいで来ますから、自分より高い位置に顔のある人間を見て、其後ろに続く長い胴体を予想して、自分よりでかい生物だと度肝を抜くんださうです。だからこそ、必要以上の過剰防衛に努めるといふわけなのです。
熊も本当は戦ひたくないのですが、相手が自分よりはるかに強さうだとあつては先制攻撃しかありません。ところで、この熊の心中の思ひは、誰か熊に聞いたのでせうか?


わたしは熊とは異なる理由によつて、大きな顔の恐怖がまだ有るので、ユスタッシュ教会(St. Eustache 一番気に入つた教会です)の前にある顔の像の写真をとる気にはなりませんでした(「ぷつちよ」といふお菓子の大分前のコマアシャルに出てきた、顔だけが転がつてゐる像です)。


顔は兎に角重要なやうなのです。モアイ像もはつきりいつて、わけがわからない代物ですが、古代人は顔の意味をよく知つてゐて、なにか深い意味をもつてあんなものをこしらへたのでせう。