いはゆるいぢめ問題

その子さん

学校での「いじめ」と学生の自殺が話題になっています。

しかし、社会はいじめだらけで、大人がちっとも模範的でないので、子供にいじめてはいけないよと胸をはって言うのは難しいのではないでしょうか(とくに去年、勝ち負けばかりを強調していたマスコミが、今になって弱者の問題を鹿爪らしく取り上げているのは失笑ものです*1)。

昔、Y・予備校の事務の手伝いをしていたことがあったのですが、そこで、四十代の性格と顔の悪いおやじが、三十代の太ったおやじと二十代の太った女の子を毎日いじめておりました。

四十台のこのおやじの暴言はひどいもので、聞いているだけで胸が悪くなりましたが、わたしは手伝いにすぎないので、横から口を出すことはできません。結局、いらいらしながら見て見ぬふりをしていたわけですが、五十代の主幹も、その他の社員もみな見て見ぬふりです。

ある日、三十代のおやじが、いじめられて泣き出しました。みな知らぬふりで、下を向いて仕事をしています。あまりのことにうんざりしたわたしは、その日手伝いをやめました。

こんな体たらくの大人ばかりではないのですが、学校でいじめがあるからといって、勇気を出して、みんな、いじめられっこを助けてあげようなどと、子供に言えた義理はありません。しかも、こんないじめは大学の教師も大好きで、S・大学やR・大学に、またT・大学やK・大学でもあるそうです。名は明かせませんが。

結局、一番偉い人が、いじめっ子を処罰するしかありません。いじめっ子は大体性格異常者ですので、ロボトミーでもしてあげる以外根本治療は無理なのですが、この手の人はそろいにそろって権威に弱いという特徴もあります。偉い人の脅しで簡単にへなへなとしぼんでしまうものです。

学校でも同じで、いじめは教師が止めるしかないのではないでしょうか。ただ、教師に権威がなくなっている現状では、これも難しいかもしれません。

それには、教師にもう少し権利を与えるべきだと思います。それは、体罰でも構わないとわたしは思います。むろん、よくあることですが、異常性格者の教師が気晴らしにふるう制裁は許されません。

今の若い親は教師をとても馬鹿にしていますので(馬鹿にされても仕方のないセンセイも多いのですが。「先生と呼ばれる人は馬鹿ばかり」という川柳もあります。ここで言う先生とは、医者、代議士、教師です)、先生の言うことを聞きません。

昔の社会は心のどこかでは、この世間知らずの阿呆と思っても、教師に最低限の権威は認めていました。今は駄目です。親が馬鹿にしている先生の言うことを、そんな親の子供が聞くわけはありません。しかも、いじめっ子の親に限って、先生を小馬鹿にしていることが少なくないので、問題の解決は困難です。

昔は先生も、もっと心に余裕のある人が多かったように思います。それは、今のように受験勉強型教師ではなかったからでしょう。親との関係もそれでうまく行っていたところもあるのではないでしょうか。

昔の教師は今みたいに猛勉強しなければなれないというものではありませんでした。そのほうが、いろいろなタイプの人間が教師になれてよかったのではないかと思います。

女子生徒にろくでもないことをする変態教師が増えたのは、受験勉強ばかりして、性格形成に必要な経験を欠いて、ひん曲がってしまった人が増えたからなのかもしれないと思います。

それは、いつまでたっても落ち着きのない中年が増えている時勢も関係していると思います。その落ち着きのない中年が増えているのは、老世代がいつまでたってもエゴイズムで下の世代を束縛するからでしょう。

いじめられっ子の救済というのは大変難しい問題ですが、教育現場は上層部が結構腐敗しているところが多いようですので、解決は難しいと思います。生々しい話になるので具体的には書きませんが。

いじめられっ子の自殺の問題もなかなか難しいことでしょう。いじめられっ子に頑張れと言うのは、意味をなさないことも多いでしょう。だいたい、どう頑張ればよいのでしょう。

何十年も生きていれば、辛い時は一時のことだと感じられもするでしょうが、経験が少ない子供にとってはその状態は永遠に続くとしか感じられないことだからです。

わたしがいじめられっ子に薦めるのは、野口英世の伝記と、山田花子の漫画(吉本の芸人ではなく、漫画家です)と稲川淳二の怪談です。

野口英世の伝記を読んで勇気を出してがんばってくれるとよいです。偉くなるのです。

でも、それは無理だと思うのなら、山田花子のリアルないじめられっ子の描写に共感するのもよいでしょう。

しかし、その場合、怪談を一緒に読むことが必要です。怪談には思いを残して死んだ人の幽霊が沢山出てきます。自殺は少し考えものだと思ってもらいたいのです。

*1:いじめについての番組を、かつていじめ芸で売っていた芸人が堂々と司会をしたりするものですから、皮肉なものです