椿事
わたしが中学生だつた時のお話です。
それは、暑い暑い夏の日のことでした。
7月のはじめだつたと思ひます。わたしは学校を出て、家に帰るべく電車に乗り込みました。夕方でしたが、夏のことです。じりじりと頭が焼けるかのやうな暑さでした。
電車は始発駅から乗りましたので、車内にまだ人はゐませんでした。わたしはいすに座ると、半開になつてゐた窓を全部開けました。
当時は冷房電車などといふ気のきいたものは大変少なくて、電車の8割がたは冷房がありませんでした。さぞかし暑かつたらうと思ふのですが、窓を全開にしてはしるので、電車が走れば風がびうびうとはひつてきて、それほど暑いとは感じませんでした。
むしろ、最近の吝嗇冷房電車のはうが、じめじめとよほど暑苦しく感じます。わたしのふだん使ふO・鉄道はとくにひどく、どうしてこんなにむしむしするのだといつも腹を立ててゐます。このO・鉄道は冬もあまり暖めてくれないので、とても寒いのです。
それはともかく、わたしは疲れきつてゐましたので、全開にした窓のそばの柱にあたまをもたせて、眠ることにしました。
最近の電車は窓は上から一寸しか開きませんが、当時は下から全部開けることができました。電車が止まつてゐる時は暑いのですが、いざ走り出すと、物凄い勢いで風がはひりこんできます。電車はそのうちがうがうと走り出しました。びうびうと風がはひります。とても気持ちが良いです。
わたしはいつしか眠り込んでしまひました。
ふと、目が覚めると、隣に中年男が座つてゐまして、顔をしかめてゐます。
たぶん電車の風が不快なのでせう。わたしは暑がりなので、窓をかなり開けたいはうなのですが、これをいやがる人もゐました。
それは、さむがりの老人、長い髪の女性、サラリーマンです。
サラリーマンは今は違ひますが、当時はしつかりと丹頂印ポマードや椿の油などで髪を撫で付けて、分けるのが常識でした。今はへろへろとだらしない髪型のサラリーマンがたくさんゐますが、当時はしつかりと固めるのが普通でした。
しかし、この頭には欠陥がありました。風が吹くと、その無理につくつた頭が乱れてしまふのです。
隣の中年男も、やはり髪をしきりに気にしてをりました。
わたしは当時生意気な中学生でしたから、自分の開けた窓を、やつが閉めたがつてゐるのだらうとはすぐに察しがつきましたが、大人に対する反抗心がつねにあつたので、なに、知るものか、と無視してをりました。
実は、わたしは窓を閉められないやうに、窓枠のへりに頭を乗せてゐたのです。さうしないと、いつも窓をサラリーマンに閉められてしまふからです。彼らは暑さを避けるより、こてこてに固めた頭のはうが大事なのです。隣の中年男も、寝てゐる餓鬼を起こしてまで、閉めようとは思はなかつたやうでした(当時は気づきませんでしたが、今はその優しさに打たれます)。
びうびうと風が吹きます。電車はがうがうと音を立てて走ります。
わたしは眠つたふりをしてをりました。電車は鉄橋を、ががががと盛大な音を立てて走つてゐます。風が思ひきりはひりこんできます。
すると、
ああ!
といふ声なき声がしたので、わたしは目を覚ましました。
声を上げたのは中年男のやうでした。
・・・なんと、中年男の髪がずるりと下がつてゐるではありませんか!
わたしは驚きました。車内の客にも動揺が広がつてゐましたが、みなすぐに目をそむけました。
もつとも、一人だけゐた、をばさんだけは遠慮会釈なく、ぢつと見つづけてゐましたが・・・
さうです。中年男はかつらだつたのです。
わたしはそれ以来、電車の窓を全開にするのをやめて、半開程度にして、閉める邪魔をするのをやめました。
餓鬼なりに、反省したのです。