続々国際きのこ会館

kimikoishi2006-09-30

「われ農夫の祈りに開眼す」

一見、冗談のやうな銅像ですが、実はこの姿こそ、聖地をきづいた預言者が啓示を受けた瞬間をあらはしたものでした。

さて、伝説をお話ししませう。なぜ、国際きのこ会館なのか? この殿堂をきづいた預言者とはいつたいどんな人だつたのでせうか? 

昭和初期のことです。京都帝國大學の学生だつた森喜作氏は、大分県の農村をおとづれ、そこで悲惨な光景を見たさうです。それは、老いた農民が借金をして買つた原木に向かつて一心に祈る姿でした。

農民は木に向かつて、椎茸がはえてくれるやうにと祈つてゐたのです。

椎茸がはえなければ、借金を負つたまま一家離散の道が待つてゐます。当時、椎茸の栽培は確立した方法がなく、まさに運任せの賭けのやうな栽培法しかなかつたのです。

これを見た森喜作氏は「われ農夫の祈りに開眼す」と、椎茸栽培の確実な方法を求めるべく、研究にいそしんだのです。長きに亙る困難の末に、大東亜戦争がはじまつた翌年の昭和17年、やうやくそれは完成しました。*1

国際きのこ会館は、森氏のきのこの研究所の傍に建てられました。会館は、きのこをみなに楽しんでもらひたいといふ、森氏の願ひを実現したものだつたのでせう。

さて、前置きが長くなりました。わたしは銅像をあとにして、早速殿堂に足を踏み入れることにしました。実は、ここには露天風呂がありまして、日帰り入浴ができるのです。聖地に宿泊して、きのこ料理を堪能したいといふ願ひはあつたのですが、楽しみはあとにとつておくはうがよいと思ひまして、この日は露天風呂を楽しむにとどめておいたのです。

(つづく)

その1 http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20060928
その2 http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20060929
その4 http://d.hatena.ne.jp/kimikoishi/20061013