1930年のダンスホール

kimikoishi2005-12-30

「何うだい。壁ぎはにずらりとシャンがならんでゐるだらう。此処のダンスホールはなかなかの評判でね。壁の花とは云ひ得て妙だらう? さう思はないかね? 何? 思ふ? さうだらう。わざわざ君を連れて来た甲斐があつたといふもんだ。 

「おつとダンス券を買つたかね。さうか。買つたか。ぢやあ、僕はさつそく踊つてくるからね。・・・え、なに? 使ひかたがわからない? あゝ、初めてなのかい。

「それで、踊り子は決めたかい。え、何だつて? 失敬失敬。聞こえないんだよ。音楽がなかなか八釜しくてね。・・・けふは珍しく日本のレコードだな。

「え? 流行歌だよ。君知らないのかい。「カフヱーの唄」だよ。初めて聴いたのかい?
秋田登だよ。歌つてゐるのは。知らない? 楠木繁は知つてるだらう? 知つてる。さうかその楠木が秋田だよ。さうさう「緑の地平線」の。一寸前のレコードだね。

「え? いや、そんなことは可いんだ。楠木が秋田だよ。同じ男だよ。それよりか、踊り子は? あゝ、あのシャンだな。ありやあ、僕も狙つてゐるんだ。君も隅に置けないな。

「いやいや。戯談だよ。譲つて呉れなくていいよ。僕は痩せぎすは嫌ひなんだ。

「いや、此方の話さ。あのね。踊つたあと、踊り子にダンス券を渡すんだよ。さうだよ。それさ。一枚で可いよ。もつとも、僕なんかは二枚渡してゐるがね。

「え。いや。そのはうが僕を覚えて呉れると思つてね。良くある手さ。君もそのうち色々と覚えるがいゝさ。

「ぢやあ。僕はあの肉体美にお手合はせ願ふことにするよ。さうさう。僕がひそかにラヴしてゐるのは彼女さ。趣味が悪いかい? オイ其様に嗤ふなよ。ぢやあな。君こそしつかりやり給へよ。