本屋さん

kimikoishi2006-11-20

ネットの本屋さんに注文すると、その二日後くらいに届いたりすることがあります。とても早くて驚きます。しかも、自宅まで持ってきてくれるのに、送料は無料だったりします。

それに比べて、一昔前はどうだったでしょうか。それは、それは、もうひどいものでした。

普通の本屋さんで、本を注文すると、二週間待つのは普通のことでした。一ヶ月くらい音沙汰なしなんてことは不思議ではありませんでした。今でも、そうなのでしょうか? 

その上、電話が来て、本が来ましたよ。おお、それはそれは、と本屋に改めて出かけていつて買うわけですから、余計時間が掛かりました(配達してくれる本屋さんがあったのは、ずいぶん昔のことです)。

一ヶ月以上待たされた挙句、なかったよ、のご返事だったこともありました(ネットでもあるのですが)。しかも、いったん注文してしまうと取り消しは効かないものですから、注文後、たまたま通りかかった本屋で、あれ、この本だ、と見つけても、そこで買えなくなってしまうのも困りものでした。

それに比べると、ネット時代というものはなんと快適なものなのでしょう。そのおかげで、というか、そのせいでと言うべきか、わたしはこの頃は、本屋めぐりをしなくなってしまいました。

本屋は利益率が低いからでしょうか、他の品物と比べると、サービスもあまりよくないのです。電気量販店のように、一割引になるポイントカードをくれることなぞ、まずありません(定価の二割程度しか本屋には入っていないのですから、無理なことです)。

また、本の割引は再販価格維持制度(定価販売の義務)のためにできないことになっています。出版社がゾッキ本として書店に出す場合は、定価より安く売ることができますが、例外中の例外です。

ジュンク堂のように合計一万円の本を買うと、珈琲券一枚をくれるところもありますが、おまけをくれる書店は皆無に近いです。

これは、わたしだけのことかもしれませんが、書店のなかをぶらぶらと歩く楽しみがなくなったのはなぜなのでしょう? 文庫本がたくさんの出版社から出るようになって、また安っぽい内容の新書が無茶苦茶大量に出るようになって以来、なぜかわたしの書店散歩はぱたりとやんでしまいました。

ネット書店はとにかく便利です。とくに、古い本で、あまり売れないような本は、大きな本屋に行っても必ずあるとは限りません。わざわざ行って、置いてないのでは馬鹿馬鹿しいので、つい本屋さんに行くのをやめてネットに頼ってしまいます。

でも、本屋さんで注文するまどろっこしい時代には、直接に人を介するだけに、ネットにはない良いこともありました。

それは、二十年近く前のことですが、わたしは近所の本屋で、聞いたことのない出版社から出ている全集*1の一冊を注文しました。その本は大きな本屋に行ってもなかったものなのです(八重洲ブックセンターが当時一番大きな本屋でしたが、そこには欲しい卷でない巻はありました)。

だから、半分あきらめて注文してみたのですが、数日後、電話が入りました。

ないという返事だろうなと思ったら、やはりないとのことでした。わたしはがっかりしましたが、ないものはしかたありません。

でも、その数日後、本屋さんからまた電話がかかってきたのです。なんと、どこかの倉庫にあるようなので取り寄せようと思いますが、どうしますかというお話なのです。

わたしは大喜びでお願いをしました。

本はそれから十日ばかりして届きました。わくわくとしながら、本屋に行きまして、わたしは濃い葡萄色の本を手に入れました。これは、その本屋の店主がたまたま優秀で、親切な人だったから、叶ったことで、本なんかどうでもいいと思っている店主、または、めんどうくさがりやの店主だったら、こうはゆかなかったでしょう。

それにしても、ネットの本屋さんの本は、到着があまりに早すぎはしないでしょうか。

いや、もちろん、ありがたいことなのです。しかし、本を運んでいる運送業界に、きっとそのしわ寄せがきているに違いないのです。

今日のニュースで、北関東の運送会社が、トラックの運転手を異常に酷使して、社長らが逮捕されたと知りました。長時間勤務明けに、すぐに岡山まで行かせたそうで、運転手は傷害事故を起こしたようです。若い運転手は逮捕されました。

結局、ネットの本屋さんの速さは、トラックの運転手の努力によって成り立っているわけで、これがたまたま不健全な業者が関わっていたり、たまたま運転手が不注意だったり運が悪かったりすると、悲惨な事故を起こすことになってしまうのでしょう。

昔は、地方の道路整備がまだ完全ではなかったこともあって、貨物は鉄道輸送が多かったのですが、近年はトラック輸送の割合がかなり高くなっています。それは、速さと安さのためなのでしょう。二十年くらい前まで、新橋駅や新宿駅の近くには、ばかでかい鉄道の貨物操車場がありましたが、今は完全になくなりました。

しかし、夜中にトラックで500キロや1000キロ近い道をゆくのは、いくら運転手がプロでも、疲れていたり、悩み事があったりすればたいそう危険なことでしょう。安さと速さのためならなんでもするのが近代の資本主義の宿命なのでしょうか。

栃木県の葛生町は、石灰石の産地として有名ですが、数年前まで石灰石は汽車で運んでいました。今はトラックがすべて運んでいます。轟々とダンプカーが町を抜けてゆきます。道は真っ白で、トラックの重みで、あちこちぼこぼことへこんでいます。石灰石と本は違うかもしれませんが、弊害に関しては同じです。

トラックの運転手には罪はないのです。ただ、事故が起こった時に、罪は運送会社と運転手だけにあると思うのは間違っています。罪はわれわれにもあると思わなくてはならないでしょう。あくなき速さと安さを望んでいるのは、われわれなのですから。

*1:龍膽寺雄全集、昭和書院