REX MUNDI (世界の王)

kimikoishi2006-07-07

荒俣宏氏の『レックス・ムンディ』(集英社、1997)を読んでいます。とてもよいです。

アマゾンの書評では、小説としてのつくりは余りよくないが、内容は秀逸だとありました。なるほどと思いました。

でも、書評にもあったように、それはこの本の価値と面白さを減殺するものではありません。とにかく長い『帝都物語』にも、それは言えることだと思います。

わたしはこの『レックス・ムンディ』に出てくる、「大柄」の容貌魁偉の主人公が、荒俣氏と重なって仕方がありません。この主人公が、そこそこ女性にもてるのも気になります。

そんなことはどうでもよいのですが、小説はレンヌ・ル・シャトーとレイ・ライン(わたしはレイ・ラインというものは知りませんでしたが、その上に家を建てたくなりました)をめぐるもので、マグダラのマリアとイエスの仲をめぐる話も出てきます。

ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』と重なる点もありますが、まったく独自の視点による小説なので、荒俣氏の慧眼ぶりを誇ってもよいでしょう。

わたしはかねがね荒俣氏には、なみなみならぬ敬意を払っています。もっとも、水木しげるの漫画に登場する荒俣氏は、平凡社に住みついてタイヤキばかりたべている変なおじさんですし、「トリビアの泉」などに出演する荒俣氏は、目をしばたたかせる冴えないおじさんといった感じです。一般的には荒俣氏は変なおじさんで通っているのではないでしょうか。

しかし、荒俣氏がいったん知識を披瀝する場面になると、ただの物知りや薀蓄おじさんとは一線を劃す凄さがあります。十年以上前ですが、神秘学についての対談で、荒俣氏は専門家よりはるかに博覧強記を誇っていました。舌を巻きました。

また、荒俣氏のいろんな事象を一つにまとめあげる才(少々強引であれ)にも舌を巻きます。真の博覧強記とはそういうものだと思います。舌は巻ける人と巻けない人がいて、それは遺伝だそうですが、それはともかく、わたしは大胆な仮説を伴わない地味な論文*1は苦手で、多少雑でも面白いほうがいいと思う単純な性格ですので、荒俣氏の書くものはとても好きなのです*2

博覧強記といえば、澁澤龍彦もそうでしたが、荒俣氏とは傾向が異なるように思います。澁澤氏の書くものは、とにかくいろんなものを大胆に結び付けるという手法ではありませんでした。かなり語弊がありますが、いわゆる文学的とでもいうのでしょうか、美しいエッセイを書く人というイメージがわたしには強いのです*3

その点、荒俣氏は体系を求める人だと思います。わたしはむしろそちらのほうが好みに合うようです。とは言え、澁澤氏のstyleも好きです。

それにつけても、荒俣氏はあの分厚いめがねを含めて容貌で多大な損をしていると思います。もし、荒俣氏が澁澤龍彦のようにかっこよかったら・・・これは余計なお世話ですが。

http://www.jimboucho.com/study/001/
澁澤氏の書斎 画像が粗くてフランス語の本の書名が読み取れないのが残念(※追記、その後、国書刊行会より澁澤の蔵書目録が出版されました)
http://www.rarebook-yushodo.jp/5_0/5_0.html
荒俣氏が挿絵本について語る 美しい挿絵本も見られる楽しいデジタルアーカイブです

*1:いま風邪を引いていますので、気分が悪く、やつあたりめいたことになりますが、それは、わずかの文献に的を絞って(というか、それ以外の文献は調べもしていないか、知らないと思われる)細かい細かい事象を並べ挙げて、誰もが予想できる結論を導く、退屈な感想文めいた論文のことです。この手の論文は文章も悪いものが多く、いっそう読み手を悲しませます。

*2:オカルティックに過ぎるとか、粗雑とか、批判はいくらでもできますが、わたしは「批判のための批判」はどうでもよいと思っています。そこには、批判者に自己顕示欲があるのみで、得るものがありません。

*3:サドの研究と言えば澁澤氏ですが、遠藤周作も若い頃すこしサドの研究をやりかけていたことは有名な話です。しかし、やはりサドといえば澁澤氏でしょう。